撮り鉄日記(首都圏私鉄) ブログトップ
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東急東横線撮り鉄日記(2) [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

さて、渋谷駅での撮影をひと通り済ませ、5050系の各駅停車に乗る。実はこの時点ではまだどこで撮影するか決めていなかった。

ただ、この撮り鉄で狙う被写体だけは決まっていた。どちらもダイヤ改正をもって姿を消すもので、一つは東横線9000系、そしてもう一つは日比谷線直通電車(東京メトロ03系と東急1000系)だ。

祐天寺は過去に一度撮影しているので、今回は別の場所で撮ってみることに。そして最初に降り立ったのは渋谷から5つ目の都立大学駅だった。


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(都立大学駅を通過し、自由が丘駅へ急ぐ9000系急行 元町・中華街ゆき)



都立大学駅は渋谷方、横浜方ともに直線と緩やかな勾配となっており、形式写真を撮るにはうってつけの場所だ。そんな事情もあってか、私が降り立った時点ではすでに先客が数名おり、彼らの邪魔にならないように撮影したが、他にも撮影できるところはあるだろうと考え、ここでの滞在時間は極力少なめに。ちなみに上の9000系は渋谷方で撮ったもの。シャッターを切るのが少し早かったのか、やや遠めになってしまい、アップするにあたってはトリミングで不要な部分をカットして、9000系が少しでも目立つように加工した。


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(都立大学駅に入線する東京メトロ日比谷線03系による、各停 菊名ゆき)



先の9000系とほぼ同じ場所・角度で撮影した、日比谷線の03系だが、シャッターを切るのがあと0.1秒遅かったら、とんでもない仕上がりになっていただろう。そしてこの電車の後にやってきたのは・・・!?


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(東京メトロ副都心線7000系による各停 元町・中華街ゆき)



え!?なぜに副都心線との相互直通運転開始前にこの車両が・・・!?おそらくその答えはこうだろう。

副都心線・渋谷駅は開業時より東急電鉄の管理駅となっており、相互直通運転がまだ実現されていないにもかかわらず、メトロが一方的に借用し続けていたということになる。そのためにこの段階で発生する賃借料(この場合は東京メトロが東急に賃借料を払う)を現金で清算するのを回避するためにメトロ側が自社車両を東急電鉄側に無償貸与したものと思われる。

副都心線7000系を撮影した後は、横浜方先端に移動し、カメラを構える。やってくるのは5050系ばかりなので、面白味がない。そこで日比谷線直通電車が来るのを待って、これを撮影することに。


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(都立大学駅に進入する、日比谷線直通 北千住ゆき)


この電車の撮影を終えたところで、都立大学駅での撮影行動は終了させ、一度改札を出入りして、次の撮影ポイントへと進んだ。






東急東横線撮り鉄日記(1) [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

まず、本題に入る前に先月更新が停滞してしまったことをお詫び申し上げます。
言い訳ではありませんが、頭の中では撮り鉄に行こうと思いつつも、体調や天候および他に優先しなければならない予定などが押してしまい、先月はとうとう撮り鉄に行く機会を逃してしまいました(_ _;)。
今回取り上げる、東急東横線も最初の予定では2月に1度行き、今月もう1度仕上げに行くという青写真を描いていました。

というわけで、ダイヤ改正前の東横線の姿を撮るのはこれが最後になると思いますので、どうぞ最後までお付き合いのほどお願い申し上げますm(_ _)m。


では、本題へ。

まずは、3月15日の終電をもって、その役目を終える、現・渋谷駅の撮影から今回の撮り鉄行はスタート。


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(東急東横線渋谷駅正面入り口。この光景が見られるのもあと10日ほど。左側には併設されている東横百貨店閉店の告知看板が・・・)



東横線渋谷駅は、ご承知のとおり、3月16日から開始される東京メトロ副都心線との相互直通運転に伴い、現在の地上駅は廃止され、地下にある現在の副都心線ホーム(2面4線)を共用する形となる。このため開業以来守られ続けてきた櫛形ホームを持つ現駅舎は3月15日の終電をもってお役御免となってしまう。
由緒ある東横線渋谷駅の正面入り口を数ショット撮影し、ホーム階へと進む。

ホーム階に上がるとこんなマスコットが・・・。


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(東横線と副都心線の直通運転キャンペーンとして登場したゆるキャラ“のるるん君”)


東横線と副都心線の直通運転は「渋谷、つながるプロジェクト」と題して、利用客に周知するキャンペーンが展開されていたのは知っていたが、そこにいわゆる“ゆるキャラ”も存在していたとは・・・。まあ、ある意味で渋谷は「ゆるキャラの聖地」とも言えるので(近くにある某公共放送局が“どー●くん”や“な●みちゃん”などのゆるキャラを次々と誕生させているから)、不思議ではない気もするが・・・。


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(折り返し出発待ちの5050系。1番線に停車している方は各停、2番線に停車している方は急行だ)


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(3番線に停車している方は東横特急、4番線に停車しているのは各停)



東横線渋谷駅は都内では数少ない櫛形4面4線で構成されており、もっとも東寄りの1番線を除く3線には線路の両側にホームがあり、乗車専用・降車専用として使い分けられている。規模に雲泥の差があるものの、大阪の阪急梅田駅や南海なんば駅に負けないぐらい立派な起点駅だ。他に都内でこれだけ立派な櫛形ホームを持つ駅は、西武池袋線・池袋駅、小田急線・新宿駅、それに池上線(東急多摩川線)の蒲田駅くらいだろうか。他にも東武伊勢崎線・浅草駅や東上線・池袋駅、京王線・新宿駅も櫛形ホームを持っているが、やはりその構造からみると、東横線渋谷駅の方が1枚上だ。


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(1番線と2番線で折り返し出発待ちの5050系)



東横線渋谷駅には、東急を代表する形式のほとんどが入線している。デハ3450を中心とする初代3000型一族、「青ガエル」の愛称で人気者になった初代5000系、その初代5000系の車体の一部をステンレス製とした5200型、エコノミルカーの愛称で親しまれた初代6000系、日本初のオールステンレスカーで当時の営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線乗り入れ用として制作された初代7000系(現7700系)、その7000系をもとに短編成を組めるように作られた7200系(現7600系)、東急初のチョッパ制御車・8000系一族、VVVF制御車の草分け的存在の9000系、日比谷線乗り入れ用7000系の後継車として制作された1000系、目蒲線の目黒~多摩川間の高規格化と東京メトロ南北線・都営三田線乗り入れ用として制作された二代目3000系などなど・・・。入線していない形式は、大井町線急行運転用の二代目6000系、池上線・東急多摩川線用として制作された二代目7000系ぐらいではないだろうか。


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(渋谷駅の車止め標識。これも3月15日の終電でその役目を終える)


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(降車ホームの改札側にある乗車不可を示す標識。3月16日から渋谷折り返しの電車はJR中央線などでやっているような“ドアの一端締切”で対応するのだろうか?)


櫛形ホームだからこそ、廃止されると見られなくなるものもある。上の写真の車止め標識や降車ホームにある乗車不可を示す標識はその代表例だ。そして東横線の場合は、現・渋谷駅の廃止でこの並びも3月15日限りとなる。


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(3番線に停車中のみなとみらい線Y500系と4番線に停車中の東急9000系)



東急9000系は副都心線乗り入れに対応できていないため、3月15日の終電をもって、東横線での活躍を終える。写真の9001Fには「さよならヘッドマーク」が取り付けられており、哀愁感を醸し出していた。

こんな感じで小1時間ほど、渋谷駅で撮影をしたあと、次の行動にうつるため、5050系の各駅停車に乗り込んだ。(つづく)

雑色・梅屋敷・大森町撮り鉄日記 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

およそ1か月ぶりの更新です。



この秋、首都圏の私鉄における最大の話題といえばやはりこれでしょう。



京急蒲田駅付近高架化事業完成


いや、まだ地平の旧線路の撤去とかもあるので、100%「完成」とはいえませんが・・・。





今回の高架化完成により、京急蒲田駅とその周辺の大森町駅・梅屋敷駅・雑色駅が完全高架化された。




というわけで、今回高架化された4駅のうち、京急蒲田駅を除く、3駅で撮り鉄を試みることにした。京急蒲田駅を避けた理由は駅構内が広すぎることと、配線も非常に複雑な上に南行線・北行線ともに上屋で覆われており、撮影にはあまり向いていないと判断したためである。ではまずはこちらから。



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(雑色駅を高速で通過する1500形1700番台による、都営浅草線直通快特。南行ホーム横浜方からの撮影で、西日が当たり始めている)



自宅を出たのが昼過ぎで、現地に着いたのは日没の約3時間前だった。品川駅で立ちそばをすすり、ステンレスの新1000型4連による金沢文庫行きで、まずは雑色(ぞうしき)駅に向かった。横浜方はちょうど西日が当たり始めており、ここで粘って撮影するのは時間の無駄遣いと判断し、改札を一度出入りして、北行ホームの品川方で撮ってみることに・・・。





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(雑色駅を通過する2000形による“エアポート急行”)



北行ホーム品川方にはすでに先客がいたので、この方を邪魔しないように撮影した結果、ホーム先端の柵が少し写りこんでしまった。でも安全に配慮して撮影したので、それを考えると柵が少し写りこむことくらいは何でもない。


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(雑色駅に入線する600形付属編成による普通電車)



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(雑色駅を通過する新1000形ステンレス車による“エアポート急行”)



600形の付属編成による普通電車はあまり見られないような・・・。

そして京急の撮り鉄でどうしても我慢ならないのが、この新1000形ステンレス車のカラーリングだ。確かにステンレス車は塗装をしなくても良いというメリットがあるが、だからといってこのカラーリングはいかがなものか?せめて、東京メトロを見習ってラッピングの面積を大きくしてステンレスの地肌を極力少なくなるように見せてほしいものだ。


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(雑色駅に入線する800形普通電車)



去就が気になる800形もこうして竣工した高架新線への乗り入れを果たすことができたことは嬉しい限りだ。

こうして、雑色駅での撮影を終え、普通電車で次は梅屋敷駅に向かうことに。やってきた普通電車は新1000形の4連、走行音はドレミファ音階のインバータが唸るオリジナルタイプだった。


梅屋敷駅では北行ホームの品川方に絞り込んで撮影を試みたが、あまりいい絵は撮れず、すぐに次の大森町駅に向かうことに。


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(梅屋敷駅を通過する600形“Blue sky train”)



ご覧のとおり、梅屋敷駅は品川方のカーブが中途半端な上に、入線してくる南行電車の正面には思いっきり影が被るので、この一枚だけを撮って、すぐに大森町駅へ移動した。大森町駅ではまずこの一枚が撮れた。


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(西日を浴びて通過する、京成3050形による“エアポート快特”=泉岳寺からは“アクセス特急”に変わる)


自分でいうのも何だが、一見失敗作に見えるようなこの写真も“西日”という自然のアクシデントが上手く手伝ってくれたおかげで、なかなか渋い一枚に仕上がった。この一枚を皮切りに大森町駅では南行ホームの横浜方先端に絞り込んで撮影をした。


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(大森町駅に入線する800形普通電車)



この800形も西日がうまい具合に当たってくれて、いい感じに仕上がった。大森町駅は品川方が高架線に切り替えてから、日が経っていないせいもあり、切り替え時の痕跡がまだまだ残っているという感じだ。一方、横浜方は梅屋敷駅よりも視界が良く、この微妙に緩いSカーブもGood!だ。


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(大森町駅を通過する新1000形による都営浅草線直通快特)


新1000形も大半がフルカラーLEDによる行先表示に更新されており、このように巻き取り式で残るグループもいずれはLEDに変わるのだろう。おそらくその時がドレミファ調インバータ音が完全消滅するときでもあろうか?


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(大森町駅を通過する、都営5300形による“エアポート快特”)



都営浅草線から京急に直通する電車はこれまで“エアポート急行”という種別を名乗っていたが、今回の高架化竣工に合わせてダイヤ改正が行われ、“エアポート急行”はすべて“エアポート快特”となった。このうち、成田スカイアクセス線から直通してくる列車については、京急蒲田も通過し、品川~羽田空港国際線ターミナルまでノンストップとなる。京急蒲田の救済は直後の三崎口行き快特がフォローする。


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(大森町駅を通過する2100形による泉岳寺行き快特)


ちょっとシャッタースピードの設定を誤ってしまったのか、少しブレ気味になってしまった。この電車を撮影し終えたところで、時計の針は16時30分を指すところだった。もう日没まであと数分までというところまできたので、今回の撮り鉄はこれにて打ち止め。


次回はもう少し時間に余裕をもって来たいところだ。



≪お断り≫今回は、すべて高架駅で撮影したため、地図は貼り付けません。ご了承ください。







京成西船撮り鉄日記(2) [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

さて、昼食を摂り終えた後は、場所を変えて東中山寄りの踏切で撮ることにした。まずはこちらの写真から。


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(東中山から京成西船を目指して速度を上げながら通過する3600形京成特急)


ところで、京成電鉄には2種類の「一般特急」が存在する。一つは北総線と成田スカイアクセス線を経由して走る“アクセス特急”、そしてもう一つが今回の記事でアップしている“京成特急”だ。

3400形・3500形・3600形の3形式の場合は、種別幕・方向幕が巻き取り式なので表示されないが、3700形の一部は、種別・行先の表示がすべてフルカラーLEDに換装されている編成に限り、行先表示のところに「京成本線経由」「成田空港」と交互に表示されるため、「京成本線経由の特急」という意味で“京成特急”と案内されることもある。


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(芝山鉄道3600形による快速)


こちらの3600形は帯色からもわかるとおり、「京成電鉄3600形」ではなく「芝山鉄道3600形」だ。とはいうものの、その実態は「京成からのリース車」という扱いで、現在の所属先である芝山鉄道の運用にはあまり入らない“珍車両”でもある。

ちなみに芝山鉄道はかつて存在した千葉急行電鉄と同様、京成電鉄がほとんど出資している第三セクター会社である。「路線はあっても車両がない」というのは格好がつかないのだろうか・・・?見てくれだけで配置しているような感じだ。本家3600形と同じ扱いらしいので、都営浅草線直通運用にも入る。締めくくりはこちらで・・・。


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(東中山から京成西船に向かう3300形普通)


3300形―1970年代後半から1980年代にかけて、初代3000形・3050形、3100形、3150形、3200形とともに京成電鉄の通勤輸送の主力を担っていた“赤電”と呼ばれたグループの一員で、京成線全般および都営浅草線の直通運用もこなしていた。1990年代には京浜急行線の直通運用にも入っていた。現在は都営浅草線乗り入れ運用からはほぼ撤退したようで、京成本線の普通と金町線を中心に活躍している。ただ、16両が北総鉄道にリースされており(形式は7260形に改番)、北総線から羽田空港への直通急行として押上線から都営浅草線を経て京浜急行に乗り入れている。このため、カラーこそ異なるものの、都営浅草線に乗り入れる京成3300形は健在である。


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(押上線四ツ木駅に入る北総7260形=京成3300形のリース車=)


ここまで、撮影したところで時計の針は午後3時30分を過ぎていた。帰りの時間を考えるとそろそろ引き上げねばならないところだ。





まあ、3300形も撮れたし、それなりに収穫があったので、今日の行動はここまで。帰りは日暮里経由で帰った。もちろん次の行動に備え、帰りの電車では正面展望も怠ることなく・・・。




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京成西船撮り鉄日記(1) [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

京成西船―その名が示す通り、西船橋駅に近接している京成電鉄・京成本線の単独駅である。ただし、お互いの駅舎は駅前商業施設等で全く見えない。





きょうは、そんな京成西船駅周辺で京成電車の撮影を楽しんだ。まずはこちらの2ショットから。


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(京成西船駅に入る3500形更新車と京成西船駅を通過し、海神に向かう3400形快速)



いきなり、このような2ショットから狙えた。自分でいうのもなんだが、これだけ綺麗に並ぶ2ショットもそう滅多に撮れるものではない。これは幸先良いスタートと見えたが、これを撮った後は誤算による苦戦が少し続く。


誤算とは、京成西船駅の海神寄りのカーブを高速で突っ切る電車を撮るという絵図を描いていたのだが、そこに思いもよらぬ誤算があったのだ。その写真を↓で・・・。

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(京成西船駅に進入する3000形・普通上野ゆき)


せっかくのベストポイントも周囲のビルによる、影があちこちにできてしまい、撮れた写真もこの通り、ところどころに影が当たってしまっている。

とりあえず、ここで長い時間粘るのは得策ではないと考え、この3000形を含め数ショット撮影したところでいったん、ここから離れ周辺の撮影ポイントを探すことに。


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(海神から京成西船に向かう、3500形更新車による快速)


このポイントは、京成西船駅から海神方面に向かって線路沿いに進み、JR武蔵野線の高架橋を潜り抜けた先で、ちょうど京成西船駅からの大きなカーブが終わる地点だ。さらに進んでみる。


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(西船4号踏切に差し掛かる3700形京成特急)



武蔵野線を潜り抜けるといったん直線区間となるが、それもわずかな距離ですぐにまた大きなカーブに差し掛かる。まあ、カーブが多いのが京成電鉄らしいところだが・・・。

カーブの終端付近に「西船4号踏切」というのがある。ここで狙うつもりでいたのだが、踏切が狭いうえに、支障物もあるので、ここでは無理か・・・と思ったが、諦めるのは早いようだ。踏切からほんの少し京成西船寄りに歩き、カメラを構え、ファインダーを覗いてみると・・・なるほど、自分好みの理想の絵が描けそうだとわかり、とりあえずはここで数ショット撮影してみることに・・・。


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(京成西船から海神に向かう3000形普通)



この写真は先にアップした3400形とほとんど同じ位置で構えたのだが、少しレンズを広げすぎたのか、余計なものがかなり入り込んでしまった。


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(京成西船から海神に向かう3000形普通)



このポイントは先ほどの地点からさらに数十メートル・西船方に戻ったところだ。このカーブは海神に向かって上り勾配になっており、カメラの構え方次第では、迫力ある写真も撮れる。


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(先ほどのカーブから狙った3000形京成特急)



とはいえ、これは少しインパクトが強すぎたかも知れない。さらに、西船方に歩き、今度は海神方面から来る電車を狙ってみる。

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(海神から京成西船に向かう3700形。種別は見づらいが確か京成特急だったと思う)



と、まあ、こんな感じで京成西船~海神間の線路沿いでの撮影をした後、再び京成西船駅に戻る。

どうすれば、電車に影が当たらないか?そう考えながらカメラを構えてみる。


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(京成西船駅に進入する3600形普通。編成組み換えで余剰になった先頭車を集めて構成された編成だ)



まずは、影が当たっていないところにレンズを向けてみる。写真の3600形はなんとかおさまっているが、タイミングが少しでもずれるとどこかが切れてしまう。次に撮った写真はこんな感じだった。


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(京成西船を高速で通過する3700形京成特急)



この3700形は天井部分がやや切れ気味だが、高速で通過する電車の迫力感を考えると、こういうのもありか・・・と割り切れた。





こうして、1時間半ほど撮ったところで、そろそろお腹が空き始めてきた。とりあえずここで一区切りとし、昼食を摂ることにした。



後半につづく。





調布撮り鉄日記PartⅡ [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

「調布撮り鉄日記PartⅠ」の最後で、「地下線切り替え直前にもう一度撮影を・・・」と予告したが、有言実行、本日、地上駅時代の最後の姿をカメラに収めることが出来た。


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(調布駅3番線に進入する8000系・各停新宿行き。日中帯で府中方面からの電車が3番線にダイレクトに入線するのは相模原線の電車と接続がないものに限られる)




ウェザーニューズ社発信の週間天気予報によれば、切り替え当日の8月19日は、「曇り時々晴れ、降水確率30%」とのこと。本日、台風も発生しているが日本への影響はないようなので、9月1日の予備日を待つことなく予定通り地下線への切り替え工事が出来そうだ。





とにかく今日は「最後の地上時代の調布界隈撮影」と決めていたので、限られた時間の中で取りこぼしがないように撮影することにした。


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(相模原線から入線する、9000系快速。こんな光景が見られるのも今週いっぱいだ)


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(調布駅で出発待ちの7000系“準特急”)



京王線と相模原線のジャンクションでもある調布駅。地下化された後の地上ホーム跡はどういう風に整備されるのだろうか?という疑問を抱えながら駅撮りを終え、相模原線・調布1号踏切に移動する。


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(調布市役所付近にある、相模原線・調布1号踏切を通過していく8000系。何気ないこんな光景もあと数日で見納めだ・・・[もうやだ~(悲しい顔)]


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(相模原線・調布1号踏切に差し掛かる、都交通局10-300形による調布どまりの電車。地下化後は調布駅に折り返し線が設けられるのだろうか?)



地下化後の調布駅は上下線が2層に分離される。その上下2層式の調布駅から隣駅の布田駅まではわずか600mほど。布田駅は島式1面2線というから、折り返し線を設ける余裕はあるのだろうか?それとも調布どまりという電車自体がなくなるのだろうか?京王線は小規模らしいが、調布駅付近が地下線に切り替わった後の8月20日に小規模なダイヤ改定があるらしいので、こちらにも注目だ(ちなみに年度内に大規模なダイヤ改定が予定されているとのこと)。


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(相模原線・調布1号踏切に差し掛かる、9000系都営新宿線直通急行)



相模原線から都営新宿線に直通する電車は原則として、都営新宿線も含めた全区間で急行運転をするのだが、夕方のラッシュ時になると、この直通電車も急行として運転するのは京王線内だけで、都営新宿線内は各駅停車として運転される。そのため行先表示も「急行・新線新宿」「新線新宿から各停・本八幡行き」「本八幡まで先行」と非常に賑やかな表示となる。





この9000系を撮り終えたところで、初老の男性が私に話しかけてきた。

「もうここでだいぶ撮れた?」

「ええ、まあ、なんとか」

「そう、じゃあこれから“穴場”を教えてあげようか」

「いやあ、もうこれ以上撮れる場所ってないっスよね!?」

「そこはちょいと探せば見つかるもんだよ。どう、ついてこない?」




最初は不審に思ったが、この男性の身元が京王線に詳しい事情通とわかり、とりあえずついていくことにした。

そして、最初に案内されたのはこの場所だった。


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(京王多摩川に向かって走る9000系)



なるほど、ここは初めて訪れるところだ。この男性の話によると、この場所は、柵越しにオーソドックスに構えてもいいが、ガードレールの隙間などをうまく利用するといい絵の写真が撮れるとのこと。そしてこの場所から少し歩いたところで、地下線の入口部分となるポータルも少しだけ見れることができた(誠に残念ですが、今回は安全上の理由でポータル部分の撮影はできませんでした)。


そして次に連れて行ってもらったところが、相模原線の電車に調布地下線に入るところだ。

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(切り替え地点付近を走る9000系)


ちょうど、この付近が地下線へのアプローチ部分になるとのこと。つまり、切り替え当日は、9000系が走っている部分のレールを外し、地下線へのアプローチ部分となる新しい線路と既存の線路が接続されるとのことだという。


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(京王多摩川からの高架線を下りた地点にある、相模原線・調布6号踏切。通過しているのは都交通局・10-300形による本八幡行き電車)



この踏切は地下線に切り替わった後も残るらしいが、工事関係者以外通行禁止の踏切となってしまうようだ。ただ、この踏切越しに地下線に出入りする電車の姿が撮れるかもしれないとのこと。それはちょっと楽しみだ。

こんな感じで30分ほど案内してもらい、最後は京王多摩川駅でお別れとなった。

そして地上線としての調布界隈を行き来する姿を撮るのも、予定ではこれが最後だ。今度はできるだけ早いうちに閉鎖された踏切や電車の行き来がなくなった後の地上線の様子も撮っておきたいところだ。





そして、最後に苦言を一つ。

今回、調布駅が地下に潜るというのは、京王の事業計画で前から決まっていたことだし、地下線に切り替わるのも8月ごろとGWごろに朝日新聞が報じている。きょう、撮影に来た時にも調布駅のホーム先端にはだいぶカメラを持った人たちがいた。それはそれで構わないことだが、安全にはもう少し配慮してほしい。調布駅のホームはただでさえ狭いうえに、人の往来もかなりある。だからくれぐれもこんな撮り方だけは慎んでもらいたい。


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(電車を撮るときは黄色い線の内側で撮ろう!)


何気なく撮れている思うが、実はこの9000系の運転士は先端にいた人物(一部加工してあります)に驚いて、警笛を大きな音で鳴らしていた。



これは調布駅に限ったことではないが、ホームで電車を撮るときは何をどういう風に撮るか、あらかじめ自分なりの絵図を描いて撮影してほしい。この写真のようにむやみやたらにカメラを向けられると運転士にとっては威圧以外の何物でもない。

近頃のコンパクトカメラは非常に出来がいいので、AF(オートフォーカス)にして撮影すると、中のコンピュータが自動的に計算し、光量不足であれば自動的にフラッシュが点いてしまう。運転士にとってはそれが何よりも怖いのだ。それによって信号を見落としてしまい、事故につながるということもある。





そして何よりも、事前にプレス発表されているのだから、スケジュールにもっと余裕をもって撮影に臨んでほしいということを記して苦言はここまでにしておきたい。




今回は、京王多摩川付近の地図をアップします。


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自由が丘撮り鉄日記PartⅡ(東横線編③~日比谷線直通電車・最後の夏) [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

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(自由が丘から都立大学に向かう、東急1000系・日比谷線直通電車。この独特の方向幕が見れるのもあとわずかだ・・・)



副都心線と東横線の相互乗り入れの時期が正式に発表されたと同時に残念なお知らせも発表された。





日比谷線との直通運転打ち切りの報である。





副都心線との直通運転開始日である2013年3月16日(土)の前日・2013年3月15日(金)をもって、昭和39年以来48年近く続いた相互直通運転の歴史に幕を下ろすとのことだ。



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(東京メトロ日比谷線用03系。東横線との相互直通運転打ち切りに伴い廃車が発生する可能性もある)



正直なところ、残念というよりも、よくここまで相互直通運転が維持できたなあ~と思う。今回、打ち切りとなる背景はおそらく副都心線車両乗り入れに伴う線路容量不足と思うが、横浜方面から日比谷へのルートは2000年9月から開始されている目黒線を介した東横線~都営地下鉄三田線の相互直通運転でもう一つのルートが確立されており、個人的には三田線と目黒線を介した東横線との相互直通運転が定着していけばいずれは打ち切りになるのではないかと思っていた。



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(都立大学から自由が丘に向かって走る、東急1000系。直通運転打ち切り後はどうなるのだろうか?)





ただ、三田線直通電車が20m車の6両編成で編成長が約130m(連結面空間部も含む)であるのに対し、日比谷線直通電車は三田線より2m短い18m車であるものの、8両編成であるため編成長は連結面空間部も含め約150m、収容力は若干ではあるが日比谷線の方が上回っていたのだ。これが今日まで相互乗り入れが続いた要因だろう。




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(“亀屋万年堂”の本店ビルをバックに、みなとみらい線Y500系とすれ違う日比谷線03系。この光景も間もなく過去のものに・・・)





ところで相互乗り入れの打ち切りに伴い、気になるのは車両の動向だ。東京メトロ03系は東横線乗り入れ打ち切りで、余剰車が発生し、廃車となるだろう。東急1000系も雪が谷に転属したところで、居場所はなく、やはりこちらも廃車の公算が高いか。





ただ、地方私鉄に目を向けると、東急1000系・メトロ03系とも活躍できるところはまだまだありそうだ。福島交通飯坂線の7000系(もと東急7000系の中間電動車・デハ7100形)置き換えや伊予鉄道610系の足回り交換など使い道はいろいろとありそうだ。あくまで個人的見解だが・・・。


直通運転打ち切りまであと半年あまり。もう春の桜とのコラボは撮れないが、ほかのシーズンはまだまだチャンスがある。機会を見出しては取りこぼしがないよう、しっかりと自分のカメラに収めておきたいところだ。





自由が丘撮り鉄日記PartⅡはこれでおしまい。今回撮影の舞台としたのは、都立大学3号踏切で、自由が丘駅・都立大学駅どちらからでも徒歩で10分ほどで行ける地点だ。




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来年の今頃、日比谷線の車両は見られなくなるが、そのかわり、東急5050系・みなとみらい線Y500系を筆頭に、メトロからは10000系と7000系が、西武からは6000系が、東武からは9000系と50070系と多様な車両が行き交いこの地点はものすごく賑やかになることだろう。

自由が丘撮り鉄日記PartⅡ(東横線編②~どうなる?9000系) [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

副都心線と東横線の相互乗り入れが発表され、東急からは5050系とみなとみらい線Y500系が副都心線に乗り入れるが、その一方でこちらの車両はどうなるのだろうか?


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(自由が丘かから都立大学に向かう9000系9005Fの各停・渋谷行き)



東急9000系。1986(昭和61)年に、東急初の量産型VVVFインバータ車として東横線と大井町線でデビューした。実は9000系も地下鉄乗り入れを考慮して設計された形式である。





9000系が登場したころ、東横線では輸送力改善のための検討がされており、その一つが当時の目蒲線(現在の目黒線)の高規格化と、目蒲線に接続させる形で地下鉄7号線(現在の東京メトロ南北線)と都営地下鉄三田線に乗り入れて、東横線の混雑緩和を図るというもので、9000系は地下鉄南北線と都営地下鉄三田線乗り入れも考慮して製造された。


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(“東横特急”として、高速で疾走する9000系9001F)



ところが、時間の経過とともに、情勢も変化し、南北線は「21世紀の地下鉄」というコンセプトで、各駅のホームを新交通システムでおなじみのホームドア方式を採用することになった。またコストパフォーマンスの観点からワンマン運転で対応することになった。都営三田線も南北線の方式に呼応するかのようにホームドアとワンマン運転を導入することになった。





これにより、9000系は南北線・三田線乗り入れ用として使用するには大掛かりな改造が必要となるので、南北線乗り入れには新車(2代目3000系と5080系)を充てることになり、9000系は東横線の主力として引き続き活躍することに。





しかし、副都心線も南北線同様、ホームドア・ワンマン運転を導入しており、9000系が副都心線に乗り入れるには困難な情勢となっている。


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(自由が丘から都立大学に向かう9000系9001F 。この日は9001Fと9005Fの2編成のみの稼働だったようだ)



このまま、東横線に残り、東急線内専用車として活躍を続けるのか?





それとも、ほかの仲間と同様に大井町線で余生を過ごすのか?



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(大井町線に転用された9002F。誤乗防止ステッカーの正面と側面への貼付、および正面の帯色を大井町線のラインカラーに合わせたオレンジグラデーションに変更されている)





究極は、これまでに大井町線に転属した編成から抜き取った中間車を組み込んで10両編成化したうえで、田園都市線で活躍を続けるということも考えられるが、どうなることか!?






この日も9000系は9001Fと9005Fの2編成のみの稼働だったようで、東横線で9000系に遭遇する機会は確実に減ってきていると考えて差し支えないだろう。

自由が丘撮り鉄日記PartⅡ(東横線編①~さらに飛躍する5050系&みなとみらい線Y500系) [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

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(“亀屋万年堂”の本店ビルをバックに自由が丘から都立大学に向かう東急5050系4000番台)


前回の大井町線編をアップした翌々日、ついに、ついに東横線と東京メトロ副都心線の相互乗り入れの開始日時が発表された。





来年3月16日(土)から、東急線内の乗り入れ区間は東横線の全区間と横浜から先のみなとみらい線全区間となる。副都心線を介して西武池袋線と東武東上線にも乗り入れを行うとのことだ。





東急の乗り入れ車両は5050系と5050系をベースとしたみなとみらい線Y500系が充当される。5050系は田園都市線5000系(Ⅱ)の東横線バージョンとして製造された形式であり、設計当初から副都心線乗り入れを想定した設計となっていた。


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(“花と寺社めぐりキャンペーン”のヘッドマークを正面に掲げて走る5050系)


5050系は当初から8両編成だけで製造されてきた。しかし、副都心線とこれを介して西武池袋線・東武東上線に乗り入れるには10両固定編成が必要不可欠だ。特に東武東上線は各駅停車も10両編成が基本となっているので、8両編成では輸送力不足となるのは目に見える事実だ。というわけで、5050系のシリーズとして、最初から10両固定編成で製造された車両がトップの写真で紹介している5050系4000番台車だ。
見た目も機器類も5050系と全く同一で、現在は10両固定編成で副都心線・有楽町線・西武池袋線・東武東上線で試運転を行ったり、中間車2両を抜き取って8両編成として東横線の特急(通勤特急)・急行・各停で活躍している。


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(5050系の一部は“渋谷ヒカリエ”のADトレインとなっている)


ところで、乗り入れ列車の基幹となるのは“東横特急”で、1時間当たり4本が運転されるとのことだ。これは現行の副都心線急行が渋谷以南で現在の“東横特急”となるようだ。このほかの列車は明らかになっていないが、渋谷始終着の列車も1時間当たり4本設定されるとのこと。ただしこれの種別が今のところ明らかになっていない。各駅停車の一部なのか、急行なのか?新聞記事から推測する限りでは急行のような気がするが・・・。さらなる詳細発表が今から待ち遠しいところだ。そして、この車両はどうなるのか?


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(5050系をベースにして作られたみなとみらい線Y500系)


みなとみらい線Y500系は、いちおう5050系がベースとなっているが、基本的仕様は田園都市線5000系の初期グループだ。まず、正面非常扉上の種別表示は巻き取り式のままで、これに西武・東武の種別も組み入れるのだろうか。そしてやはり塗色以外で目立つのは3色LEDだろう。まあ、相手側のメトロ7000系・10000系も3色LEDなので違和感はそれほどないと思うが、それでも3者とも相互乗り入れ開始までにはフルカラーLEDに替えてほしいところだ。Y500系は今のところ8両編成のみとなっているが、今後10両編成に組み直されるのかどうかも気になるところだろう。


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(“横浜ベイスターズ”の応援列車として、ヘッドマークを掲げて走るY500系。プロ野球交流戦の時には西武6000系も負けじと、“ライオンズ”のヘッドマークを掲げて走ってほしいところだ)

自由が丘撮り鉄日記PartⅠ~世代交代が進む大井町線編 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

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(自由が丘駅に停車中9000系上り電車、自然現象なので仕方がないがせっかくのフルカラーLEDが途切れ途切れになっているのが残念なところ・・・)


自由が丘に撮り鉄に訪れたのは約4年前、そして東急大井町線をメインターゲットに撮り鉄に訪れたのは約3年前のこと。

前者は大井町線の急行運転が始まった当初に専用車両である6000系をメインに撮りに訪れて以来のことで、後者はそれから約1年後、田園都市線の複々線化とそれに伴う大井町線の溝の口乗り入れが実現した年に訪れて以来のことだ。直近から計算しても約3年ぶりの再訪となる大井町線。まずは自由が丘駅ホームで9000系を撮ってみた。


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(自由が丘駅に進入する9000系上り電車)

3年前に訪れた時は、9000系は最初から大井町線に在籍する9007Fと東横線から転属してきたばかりと思われる9002Fの2編成だけだったが、3年の間にずいぶん勢力を伸ばしてきているようで、Wikipediaで調べてみたら、もう7編成が在籍しているとのこと。それでもまだ8000系グループ(8500系・8090系・8590系)より2編成ほど少ない。というわけで大井町線の各駅停車はこの9000系と8000系グループが交互でやってきているという感じだ。


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(自由が丘駅から緑が丘駅に向かう9000系9002F)


9000系9002Fは3年前の大井町線溝の口乗り入れに伴い、各停に用いる編成数が不足気味になることに合わせ、東横線から大井町線に転属してきた最初の編成だ。5両編成化と正面の帯が東横線時代の赤色から大井町線のラインカラーに合わせたオレンジグラデーションに替えられ、誤乗防止のステッカーが取り付けられている以外は東横線時代の姿を保っている。


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(新製当初から大井町線に配置されている9007F。正面の帯色と誤乗防止ステッカー以外は、ほぼ新製当時の姿を保つ貴重な編成)


9002F・9007FともにいずれはフルカラーLEDの行先表示に変えられると思われるので、原型姿を撮影するのなら今のうちだろう。特に9007Fは正面のスカートすら取り付けられていない貴重な原型編成だ。


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(自由が丘駅から緑が丘駅に向かう8500系)


大井町線の8500系は田園都市線の5000系投入により余剰となった編成の一部が大井町線に転属して活躍している。


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(緑が丘駅から自由が丘駅に向かう8090系各停・溝の口行き)


8090系は東横線から転属してきた。後述するが東横線の横浜駅付近地下化とみなとみらい線(当時はMM21線という仮称)の直通運転用として一部の編成が正面貫通型の先頭車に置き換えられ、それによってはじき出されたグループが5両編成に組成され大井町線に転属し、8090系の転入前まで活躍していた7000系(Ⅰ)と7200系を置き換えた。いまでは9000系とともに大井町線各停の主力として活躍しているが、最近では一部の車両が秩父鉄道に売却されたり、9000系の勢力がどこまで拡大するのかなど、これから先の状況によっては8090系も過去の活躍車両と化してしまうのだろうか?


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(西陽を浴びながら、自由が丘駅に向かう8590系・各停溝の口行き)


8590系は正式には8090系の一員で、東横線がみなとみらい線(当時はMM21線という仮称)との直通運転が決まった際に全区間地下線として建設されるみなとみらい線への乗り入れ用として、貫通扉のついた先頭車である制御電動車とこれとユニットを組む次位の中間電動車だけが製造されただけで、その他の中間車両はすべて8090系である。大井町線で活躍中の8590系は東横線に最後まで残ったグループで、本来の目的であったみなとみらい線への乗り入れも果たすことができた非常に幸運な車両だ。その後、東横線は9000系と5050系のVVVF車で統一されることになり、これにより8590系は田園都市線と大井町線に転属し、現在に至っている。


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(自由が丘駅を出発した6000系急行・大井町行き)


締めくくりはやはり大井町線の花形車両・6000系で。6000系は全体的には5000系がベースとなっており、唯一の相違点は先頭形状で、前照灯が5000系の頭頂部から腰部に移ったくらいで、地下駅である大岡山付近での非常時に対応できるように非常扉(ダミーではない)が備えられている。


というわけで、今回は駆け足で大井町線で活躍する車両をすべて写すことはできたが、撮影ポイントは4年前とほとんど同じ場所だったこともあるので、次回来訪の機会が訪れた時は違う場所での撮影にも果敢に試みたいと思う。そして8000系グループの勢力に変化がないことも願いつつ・・・。




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