撮り鉄日記(首都圏私鉄) ブログトップ
前の10件 | 次の10件

調布撮り鉄日記PartⅠ [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]




この度の九州地方北部の集中豪雨により犠牲になられた方々に対しまして、心よりお悔やみを申し上げます。


**********************************************************************************************************



やっと、調布へ撮り鉄に行くチャンスに恵まれた。調布駅周辺の地下化まで、あと1か月あまり。この地下化で見納めになる光景をしっかりとカメラに収めてきた。ということで、まずは名物のこれから・・・。

Choufu-sta.2a.jpg
(調布駅名物・2大幹線の平面交差)


調布駅の京王八王子・橋本方にある、京王線と相模原線の平面交差。調布駅の場合は、相模原線が今の路線形態になる以前から調布駅の次の駅である京王多摩川までが京王閣競輪場への観客輸送のために古くから開業しており、平面交差もそのころから存在している。今回の地下化により調布駅は地下2層式となるので、平面交差はおろか、上下列車の離合(すれちがい)の光景すら見られなくなる。


Keio 9000-111a.jpg
(相模原線から調布駅に進入する9000系)

平面交差は、用地取得に制限がかかりやすい私鉄に多く導入されており、首都圏では西武拝島線の小川駅構内や京成電鉄の京成津田沼駅構内などで見られる。関西圏だともっと多く、その代表どころは阪急淡路駅構内だろう。平面交差のある駅ではスリリングな光景が日常茶飯事で見られるところも面白いところ。例えば・・・


Keio 8000-122a.jpg
(相模原線から調布駅構内に入る8000系)


この写真では、京王線と相模原線の電車が同時に調布駅構内に入ろうとしている。ところが後方にいる京王線からの8000系は踏切の手前で一時停止している。これは最初の写真をみればわかると思うが、相模原線からの線路がダブルスリップ(?)構造となっているため、万が一切り替えが間違っていると脱線してしまう恐れがある。このため、無事に進入していることを確認して、京王線の電車が進入するというところだろう。


Keio 8000-123a.jpg
(完全ではないが同時に進入する京王線〈=右〉と相模原線の8000系。地下駅化されるとこんな光景も過去のものに・・・)


お互いの車体が干渉によってぶつからないよう、超低速で進入している。

この写真を撮ったところで、カメラのファインダーに電池切れ予告のマークが点滅し始めたため、ここで撮影をいったん中断。電池を入れ替えたところで、今度は駅をでて、この地下化で唯一あった踏切が消滅することになる相模原線の方に移動した。


Keio 9000-113a.jpg
(相模原線調布1号踏切に差し掛かる9000系)


現在の京王線の主役が7000系・8000系であるとすれば、現在の相模原線の主役はこの9000系だ。相模原線の最上級種別である「都営新宿線直通急行」から「各駅停車」まで相模原線の全種別をフルにこなしている。


Keio 9000-115a.jpg
(相模原線の最上級種別である“都営新宿線直通急行”)


そして相模原線には都交通局の車両も乗り入れてくる。


Toei Shinjuku line 10-300-01a.jpg
(都交通局10-300形による各停・調布行き)


地下鉄との相互乗り入れはお互いの乗り入れ車両を賃借する形になり、この場合であれば都交通局の車両と京王の車両の相手線乗り入れによる走行キロ数を調整して、現金による清算は極力避ける形をとっている。ということで、都交通局車両による京王線内折り返し運用が存在しているというわけだ。逆に京王の車両も都営新宿線内折り返し運用が存在している。とはいうものの、折り返し設備の関係で笹塚まではきているようだが・・・。

これで今日の撮影はひととおり終了といったところだが、まだ十分に撮影できたとは思っていない。今度は地下線に切り替わる数日前に再訪してみようかと思う。



大きな地図で見る

箱根撮り鉄日記(7)~帰路編 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

※予定の回数をオーバーしてしまい、申し訳ございません。今回の箱根撮り鉄日記はこれにて終点となります。


Hakone-Tozan 2000-09a.jpg
(箱根湯本に無事に到着し、山登り電車として折り返す2000形。きょう1日お世話になりました)


午後3時15分ごろに無事に箱根湯本に戻ってくることができた。これで登山電車の撮影行程は一通り終了。帰りの電車である“はこね32号”の発車時刻である3時49分まで30分弱の時間で、お土産などを買う。時間があまりないので、駅の外には出ず、駅構内の土産物店で買うことに。



Odakyu 50000VSE-01a.jpg
(箱根湯本で出発待ちの小田急50000形VSE)


サメのような顔つきをした50000形VSEもすっかり沿線になじみ、小田急のフラッグシップ的な車両となったが、トータルでの運転本数は30000形EXEよりも少ないのが泣き所。もっとも、30000形EXEは夕方の通勤ロマンスカーである“ホームウェイ号”の主力でもあるので、仕方がないところだが・・・。せめて、朝7時台から毎時1本ペースで運転してほしいところだ。


3時49分、50000形VSEはゆっくりと動き出し、箱根湯本を後にする。すぐにロマンスカーのTVCMで流れる曲を着メロ風にアレンジしたチャイムで車内の案内や途中駅の到着時刻などを案内する。往路の“はこね3号”は、途中、向ヶ丘遊園・町田・本厚木・新松田・小田原と停車していったが、こちらは女王様列車らしく、途中は小田原・本厚木・町田のみの停車である。


50000形VSEはなんといっても、極限ギリギリまで拡げた天井が特徴だ。この空間にいるだけでもVSEに乗っているという実感が湧いてくるので、あえて展望席を取る必要性はない。新宿までの約1時間半強の移動時間中はVSEだけでしか販売していない「プレミアムコーヒー」を飲みながら、車窓風景を楽しむ。


町田を過ぎると、新宿まではあっという間だ。登戸からの複々線を快走し、完全な地下駅になった成城学園前を徐行することなく通過、地下化工事が大詰めを迎えている下北沢を通過、工事により追い抜き線がなくなり、島式ホームの仮駅構造となった、東北沢を通過すると、上下線の間に2本の留置線が。そこには4000形とJR東日本のE233系2000番台が仲良く待機している。代々木上原を通過すれば新宿はもうすぐだ。


代々木八幡・参宮橋・南新宿と次々と通過していき、午後5時21分定刻に新宿に到着した。


Odakyu 50000VSE-03a.jpg
(50000形VSE“はこね32号”無事、新宿に到着)


これにて、今回の箱根日帰り旅行は、残るは新宿から自宅に戻るという行程を残し、主要行程が無事に終了した。

ところで今回、箱根の日帰り旅行を計画したのはちょっとしたわけがある。

最近、箱根登山鉄道のHPを見た人はわかるかも知れないが、来年度(2013年度)、登山電車に約20年ぶりに新型車両が投入されることが発表された。

とりあえず、単車2両が製造され、表向きは増結用ということだが、その実はモハ1形の完全淘汰だろう。モハ1形は現在の車体になってから間もなく60年。さらにその前身である木造電車時代から通算すると80年以上という高齢車両なので、一刻も早い置き換えが必要となるだろう。来年のあじさいのシーズンも見られるか今から気になるところだ。


とはいえ、後ろ向きに物事を考えるのは良くないので、とりあえず今後は時間の許される限り箱根を訪れ、モハ1形の最後の力走ぶりをしっかりとカメラにおさめておきたいところだ。次は秋の紅葉の時期に時間が合えばまた行ってみようかと思う。   (おわり)

箱根撮り鉄日記(6)~大平台駅後編 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

※長々と箱根の撮り鉄日記が続いていますが、もうちょっとだけお付き合いください。


彫刻の森で、美味しい蕎麦を堪能した後は、山下り電車に乗って、再び大平台駅に向かう。

7~8分ほど待ってやってきた山下り電車は、モハ1形の3連。先ほど、宮ノ下で撮影した時と同じ編成だったような気がするが、その時はカルダン駆動車の方に乗ってしまった。だから今度は吊り掛け駆動車の方に乗る。大平台までの急カーブ・急勾配をモーターをフル回転させながら進んでいく。この音は、録音したものではなく、実車に乗って聞くのが一番だ。


Hakone-Tozan 1-04a.jpg
(大平台に到着し、山登り電車と交換待ちのモハ1形)


ここで、本日最後の撮影を敢行する。


O-hiradai sta.-01a.jpg
(ログハウス風の大平台駅舎)


大平台駅は出口が一応2か所あり、この駅舎は国道1号線に面した方だ。もう1か所は箱根湯本方面のホーム端にある。この駅舎は近くにあるバス停から撮ったもの。このためバスが近づくと「乗りますか?」という意味で軽いクラクションを鳴らしてくれたので、丁重にお辞儀をして乗車しないことを運転手に意思表示をする。


O-hiradai sta.-02a.jpg


バス停から少し外れた位置で駅舎を撮影をするとこんな感じになる。

駅舎を撮影した後は、駅舎脇にある「あじさいの小径」という名のついた、小さな道を通り、一気に線路脇に近づく。


Hakone-Tozan 1000-09a.jpg
(大平台駅に進入する1000形山下り電車)


「あじさいの小径」と名のついた小さな道路はちょうど、強羅方面からの線路と箱根湯本方面からの線路が合流する地点で、それぞれの線路に「大平台入口」「大平台出口」という第4種の踏切がある。


Hakone-Tozan 1-05b.jpg
(大平台駅に進入するモハ1形。来年もこの光景が見られると良いのだが・・・)


これは大平台入口踏切と大平台出口踏切の間で撮ったもの。双方の踏切は微妙な距離で離れている。モハ1形の尾灯が草木で隠れてしまっているが、これはご愛嬌といったところだろう。ちなみにこの写真はレンズを上大平台信号所の方に向けている。で、ほぼ同じ地点でレンズを大平台駅側に向けると・・・


Hakone-Tozan 1-07b.jpg
(大平台駅を出発し上大平台信号所に向かうモハ1形山登り電車)


カーブが比較的緩いせいか、顔だけが写る格好となった。電車は3両編成である。

ここまで撮って時刻は間もなく3時。帰りの電車のこともあるので、この次の山下り電車で締めくくることにした。


Hakone-Tozan 1000-10c.jpg
(大平台駅を出発し、箱根湯本に向かう1000形山下り電車)


まるで花畑の中を走っているような感じ。あじさいも電車もだいたいバランスよく写っているので、今日のところはこれで打ち止めとすることに。「あじさいの小径」を大平台駅方面に道なりに進んでいくと箱根湯本方面のホームにすんなりとたどり着く。これがもう1か所の出入り口だ。ホームに入るとすぐにモハ1形の山登り電車の姿が見えたので、急いでカメラを構える。


Hakone-Tozan 1-09b.jpg
(大平台駅に進入するモハ1形山登り電車)


観光客のラッシュが一段落したのか、2両編成でやってきた。1両は箱根湯本にいるのだろうか。この電車を撮った後はすぐにやってきた2000形の山下り電車に乗り込む。



Hakone-Tozan 2000-08a.jpg
(最後に乗った山下り電車は2000形の2連)


山下り電車はちょうど日帰り観光を終えて帰路につく人が多くなる時間帯なので、朝ほどではないがやや混んでいた。大平台駅を後にし、出山信号所で進行方向を変える。ここで、個人的な意見なのだが、出山信号所は駅に昇格させてもおかしくないように感じるのだが、どうだろうか。そんなことを考えながら塔ノ沢駅を過ぎ、トンネルを抜けると箱根湯本の温泉街が眼下に見えてきた。進行方向の右手に留置線があり、モハ1形がここで休んでいた。おそらく、私の予想は当たったようだ。3時15分ごろ、箱根湯本駅に到着。これで今回の撮り鉄はひとまず終了となった。本当の終了は無事に新宿に到着してからだ。  (つづく)



大きな地図で見る

箱根撮り鉄日記(5)~大平台駅前編 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

今回の撮り鉄で、滞在時間の半分近くを割いたのが、大平台駅周辺だ。

仙人台信号所前の小道から再び国道1号線に戻る。山間の道路とはいえ車の通行量は非常に多い。歩くときは注意が必要だ。

そんな国道1号線を10分ほど歩き、途中で右折できる道があるので、ここに入りさらに15分ほど歩くと、上大平台信号所近くの踏切にぶつかる。迷わずここで撮影をする。


Hakone-Tozan 1-01b.jpg
(大平台駅を出発し、力強く勾配を登り、上大平台信号所に向かうモハ1形3連の山登り電車)


踏切には他にも電車を撮影する方が何人かいらっしゃったので、挨拶を交わしながら、しばしここで撮影をする。写真のモハ1形の塗り分けはいわゆる「金太郎塗り」と呼ばれるもので、雑誌の写真でストレートに塗り分けられた他の車両と見比べるとイマイチ・・・と見えたのだが、実物を見るとなかなかどうして。自宅に帰ってから、さっそくコピーを作り、自分の携帯の待ち受け画面にしたほどだ。この電車は上大平台信号所で山下り電車と交換となる。


Hakone-Tozan 1000-06b.jpg
(上大平台信号所から大平台駅に向かう、1000形山下り電車)


電車は全体が写っていないが、あじさいが主役と考えれば、このようなカットも決して悪くはない。


Hakone-Tozan 2000-02b.jpg
(上大平台信号所から大平台駅に向かう、2000形山下り電車)


前の写真も出来は悪くないが、もう少しスマートに撮ってみたいところ。そう思いながら、もう1本山下り電車を狙ってみたら、ご覧の通り、前の写真よりもスマートな1枚が撮れた。


Hakone-Tozan 1000-07b.jpg
(大平台駅から上大平台信号所に向かう、1000形山登り電車)

これももう少し手前でシャッターを切ればスマートな出来上がりになっていたのかな・・・と思うところだが・・・。


この写真を撮ったところでちょうどお腹も空いてきたので、大平台駅から山登り電車に乗り、昼食を摂ることにした。



Hakone-Tozan 1-02b.jpg
(大平台駅にて。山登り電車より先に入線してきたモハ1形の山下り電車)


Hakone-Tozan 1-03b.jpg
(1000形3連の山登り電車が入線すると、モハ1形の山下り電車は箱根湯本に向かい出発する)


昼食は彫刻の森駅前にある「そば処 奈可むら」で摂ることにした。ここは前日までにインターネットで調べておいたところ。せっかく箱根まで来たのだから、コンビニのおにぎりではどうかな・・・と(それ以前に登山電車沿線にコンビニはほとんどないが・・・[あせあせ(飛び散る汗)])。美味しいところを下調べして美味しいものをいただく、これほど健康なことはないだろう[わーい(嬉しい顔)]


奈可むら-1.jpg
(お行儀が悪いと自覚しつつ、私が頂いた“かき揚げせいろ”を食べる前に撮らせていただきました)


私が頂いたのは「かき揚げせいろ」なる一品。「天せいろ」はお蕎麦屋さんに行けば大抵はあるメニューだが、「かき揚げせいろ」というのはあまり聞いたことがないので、迷わずこれを注文する。ここで私が想像していたかき揚げとは、丸っこいごく普通のものと思っていたが、出てきたものを見てびっくり。かき揚げは私が想像していたものとははるかに遠いものというイメージで、四角くて厚みがあるかき揚げが2枚。これに石臼挽きの二八そばが1枚付くというシンプルなメニューだが、かき揚げのボリュームに対して蕎麦が負けているな・・・というイメージも。でも、そこはお蕎麦をもう1枚頼んで解決!お蕎麦もかき揚げも美味しく頂いたところで、後半の撮り鉄行動に入る。  (つづく)

(大平台駅周辺の地図)

大きな地図で見る

(彫刻の森駅周辺の地図)

大きな地図で見る

箱根撮り鉄日記(4)~宮ノ下・仙人台編 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

強羅駅で少し休憩をした後、モハ1形の3連による山下り電車で、最初の撮影ポイントとして決めた宮ノ下駅まで向かう。10分弱で宮ノ下駅に到着する。

Hakone-Tozan 1-10a.jpg
(宮ノ下駅で山登り電車と交換待ちのモハ1形山下り電車。あまり上手く撮れなかった・・・[もうやだ~(悲しい顔)]


箱根湯本からの山登り電車に乗っていたときは割と視界が開けているように見えたが、実際に降りてみると思ったより開けていない感じで、ホーム端でこんな写真を撮るのが精一杯だった。


Hakone-Tozan 2000-01a.jpg
(宮ノ下駅で発車を待つ2000形2連の山登り電車)


この後も山登り電車・山下り電車あわせて2~3本、撮ってみたが、思うように上手く撮れず、これ以上粘るのは時間の無駄だなと判断し、ホーム脇に咲いていたあじさいの写真だけを撮って駅を後にした。駅を出てからは線路下を並行して走る国道1号線を大平台方面に向かうことにした。

宮ノ下駅のあじさい-1.jpg
(強羅行きホームのわきに咲いていたあじさい)



大きな地図で見る


地図を見ていただくとわかるが、国道1号線と登山電車は大平台までほぼ並行して走っているが、登山電車は崖の上を走っており、道路上から登山電車を見ることはできない。

余談だが、この国道1号線こそが、元旦恒例の「箱根駅伝」で、往路の5区・復路の6区である山登り・山下りのコースである(登山電車内でもこのようなアナウンスが流れる)。実際に歩いてみてもヘアピンカーブが多く、緩い坂道でもあるので、ここを走る選手は相当な鍛錬が必要なのだなということが素人の自分にでも解る。


さて、宮ノ下駅から歩くこと約15分ほど、進行方向右手に登山電車の線路に近づけるような小道を見つけたので、ここに行ってみる。小道はほどなく行き止まりとなり、その目の前には仙人台信号所の構内が見えてきた。行き止まりといってもロープがかけられているだけで、それに「これより先、立ち入り禁止 箱根登山鉄道・小田原警察署」という札が掛けられているだけ。ということはこの小道自体、私道で立ち入り禁止なのかと不安になったが、とりあえずせっかく来たのだから撮ってみることにした。仮に私道であれば電車通過時に警笛を鳴らすはずなので・・・。5分ほど待っているとまずは山登り電車が仙人台信号所をゆっくりと通過していく。


Hakone-Tozan 1000-03a.jpg
(仙人台信号所を通過し、宮ノ下駅に向かう1000形の山登り電車)


警笛は鳴らされずに済んだ[たらーっ(汗)]。この山登り電車は宮ノ下で山下り電車と交換するはずだ。するとしばらくして、宮ノ下駅方面から電車の音が聞こえてくる。予感は的中だった。その電車を狙うべくカメラを構えて撮れたのがこの一枚だ。


Hakone-Tozan 1000-04b.jpg
(仙人台信号所構内に入る1000形山下り電車)


この電車を後追いでも撮ってみる。


Hakone-Tozan 1000-05a.jpg


こうして、宮ノ下・仙人台での撮影を終え、再び国道1号線を大平台方面に向かって歩く。


(つづく)


箱根撮り鉄日記(3)~箱根湯本→強羅間撮影ポイント探索編 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

箱根湯本で新宿からの乗車券・特急券を出して、改めて登山電車の乗車券を買い直してホームに入る。


登山電車1日乗車券「トコトコきっぷ」a.jpg
(これが今回使った登山電車の一日乗車券“トコトコきっぷ”だ)


改めて買い直した乗車券は「トコトコきっぷ」という可愛い名前がついた一日乗車券だ。小田原から強羅までの鉄道線全線と強羅から早雲山までの鋼索線(ケーブルカー)が一日乗り放題で価格は1,500円なり。私はあいにく新宿からロマンスカーに乗った関係でこの一日乗車券を有効に使えたのは箱根湯本から強羅までの区間のみ。元は取れていないと思うが、途中駅での切符の買い直しなどの手間が省けることを考えると決して高くはない。


最初は強羅まで乗車し撮影ポイントを探すことと決めていたため、確実に座れるよう、目の前で出発待ちだった電車には乗らず次の電車で行くことにした。数分後、超満員の状態で3両編成の山登り電車が出発していった。次の電車は2両編成であることが案内される。このため3両編成の乗車位置では駅員が次の電車は2両編成であることを丁重に案内し、乗客を誘導している。


待っている間に入生田からモハ1形の2両編成がやってくる。ひょっとして幸先よくモハ1形に遭遇するかと思ったが甘かった。すかさず塔ノ沢方面から2000形の2両編成がやってきた。降車客が完全にいなくなったところで、駅員による乗車客の誘導を始める。私は幸先よく座ることができたが、短い折り返し時間であるにも関わらず車内はあっという間に朝の通勤ラッシュ状態となった。出発時刻になったところで信号が青になっていることを確認し出発する。


出発するとすぐに車掌が沿線の見どころやスイッチバックについての案内を始める。1000分の80という急こう配を登り、塔ノ沢駅に到着。ここでモハ1形の山下り電車(2連)と交換する。なるほど、さきほど入生田から回送されたモハ1形はこの電車の折り返し便に連結して3両編成にするのか!


さて山登り電車は塔ノ沢を出発し、トンネルを抜け、沿線の見どころの一つである出山橋梁を渡る。ただしこの日は残念なことに鉄橋のトラス部分の塗り替え作業が行われていたためトラス全体が工事用のシートで覆われており、眼下の渓谷を見ることはできなかった。出山橋梁を渡ると最初のスイッチバックである出山信号所に入る(スイッチバックは全部で3回ある)。1分ほどの停車時間で運転士と車掌がテキパキと機敏よく動いて立ち位置があっという間に代わる。出山信号所から次の大平台までは逆向き運転となる。


大平台で2回目のスイッチバックをして箱根湯本出発時の向きに戻るのもつかの間、上大平台信号所で最後のスイッチバックをして出山信号所出発時の向きとなる。そして宮ノ下・小涌谷・彫刻の森と進み、箱根湯本から約40分で鉄道線の終点である強羅駅に到着となる。強羅駅では名物のあの電車を撮る。


強羅駅名物「タンボのカカシ」-1a.jpg
(強羅駅名物「タンボのカカシ」ことモニ1形)


「タンボのカカシ」とは、もとは「ロングおじさん」というニックネームで有名だったTBSのアナウンサーで、熱心なレールマニアとしても知られた故吉村光夫氏が京浜急行の電動貨車デト20・30形に付けたあだ名だ。無蓋電動車に走るのに必要最小限のものだけを取り付けて駅構内の片隅に佇んでいるところからこのあだ名がついたのだろう。このモニ1形もそんな感じの車両だ。ただしこちらは救援車や工事用車両としても活躍するので、無蓋車とはいえ、台の上が少し賑やかだ。

強羅駅でしばし休憩したあと、モハ1形3両編成の山下り電車で、最初の撮影ポイントを目指すことにした。最初はこの章でいっぺんにアップしようと思ったが、ちょっと長くなるので、ここらへんで一度止めたいと思います。次の章から最初の撮影ポイントを地図つきでアップします。  (つづく)





箱根撮り鉄日記(2)~箱根湯本駅編 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

≪本文に入る前にお断り≫
①この章からは箱根登山鉄道について記述していきます。箱根登山鉄道の呼び方については愛着をこめた意味で、「登山電車」または「箱根登山線」という略称で表記します。
②箱根登山鉄道の最古参電車モハ1形・モハ2形については、モハ1形が吊り掛け駆動・扉間ロングシート、モハ2形がカルダン駆動・扉間クロスシートという決定的な違いがあるものの、その外観は同一であるため、ここではモハ1形・2形を総括して「モハ1形」と表記させていただきます。
③登山電車の特色を表現するため、強羅行きを「山登り電車」それに対して箱根湯本行きを「山下り電車」と表記します。
それでは、長い本文にお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。



8時36分、新松田を定刻に発車した“はこね3号”は、開成、栢山、富水、蛍田の各駅を順調に通過していった後、伊豆箱根鉄道大雄山線を乗り越えて行き、足柄駅を通過し、今度は東海道新幹線を潜り抜け、その後すぐに進行方向左手に東海道本線が合流し、8時45分定刻に小田原駅にすべり込む。
ここまで10両編成で運転してきた“はこね3号”だが、この先の箱根登山線内は6両編成が限界となるため、新宿方の4両(付属編成)を切り離す。そして8時47分に小田原駅を後にし、終点箱根湯本を目指す。小田原までは時速100㎞/h前後で飛ばしてきた30000形“EXE”も箱根登山線内は急カーブ・急こう配があるために、時速20~30㎞/hに落として走る。箱根板橋駅をゆっくりと通過し、風祭駅で対向列車と交換のため、運転停車をする。そして入生田駅を通過後9時01分定刻に箱根湯本駅にゆっくりとすべり込む。


箱根湯本駅名標-1.jpg
(レトロムード感のある駅名標)


まずは箱根湯本駅構内の観察から始める。


箱根湯本駅構内-02a.jpg
(登山電車名物である“三線軌条”)


箱根登山線のうち、箱根湯本駅の一つ手前の入生田駅から箱根湯本駅までは小田急車両に合わせた狭軌(1,067㎜)と登山電車に合わせた標準軌(1,435㎜)双方の車両が走れるように3本のレールが敷かれている三線軌条区間となっている。かつては小田原駅まで三線軌条となっていたが、輸送力増強のため、平成18年からは登山電車の車庫がある入生田駅~箱根湯本駅間だけを残して、小田原側は小田急車両のみの運行に改められた。このため、小田原駅から入生田駅までは標準軌用のレールを外した。この結果、現在の箱根登山線は小田原駅から入生田駅までが1,067㎜の狭軌のみ、入生田駅から箱根湯本駅までは三線軌条、箱根湯本駅から強羅駅までが1,435㎜の標準軌のみという非常に珍しい線路形態となっている。

箱根湯本駅構内-01a.jpg
(標準軌と狭軌が合流する部分。わかりますか?手前側が小田急用の狭軌部分、奥側が登山電車用の標準軌部分です)


Odakyu 1000-09a.jpg
(箱根湯本駅に進入する小田急1000形箱根登山線専用車両)


前述の通り、平成18年に箱根登山線内のうち、小田原~箱根湯本間の営業列車については小田急車両に統一された後、しばらくは5000形を中心に運用されていたが、その5000形も車齢には勝てず、1000形に後任を譲る形になったのだが、その際、1000形は箱根登山線運用専用車として、写真の通りステンレス車体からロイヤルブルーの帯を外し、登山電車2000形に合わせた赤いラッピングを施したスタイルとなりひときわ目立つ存在となった。
この1000形は箱根登山線を中心に運用され、小田急線内での営業運転は小田原駅~新松田駅間のみに限定されている。あとは検査等で相模大野まで来るぐらいで、新宿駅には顔を見せることは原則としてない。



Hakone-Tozan 1000-01a.jpg
(箱根湯本駅で出発待ちの登山電車1000形山登り電車)


登山電車1000形は2両編成で、3両編成で運転するときは中間に2000形の中間電動車モハ2200形を組み込む。
ところで私は箱根湯本に着いて、駅構内の観察をひととおり終えたところで、重大な誤算をしていたことを思い知らされた。行ったのは6月27日水曜日で平日だ。平日だから、そんなに混んでないだろうと思っていたのだが、これが大甘予測だった。9時30分を過ぎたころから駅構内が混みはじめ、写真の1000形も撮影した時点ではまだ車内もそれほど混んでいなかったが、この数分後、出発する時点では超混雑の状態で発車していった。混雑の原因は何かというと、ツアー客。ちょうど沿線ではアジサイが見ごろを迎えており、“あじさい電車”という愛称が着くこの時期の登山電車に乗っていただこうと、箱根湯本駅でバスからツアー客を降ろし、登山電車に乗せたため、大混雑となったというわけだ。さすがにここまでは計算に入れてなかった[ふらふら]
とはいえ、いまさらそんなことを気にしても何もならないので、とりあえず一度改札をでて、登山電車の切符を購入し直し、強羅まで乗って撮影ポイントを探すことにした。  (つづく)



箱根撮り鉄日記(1)~新宿出発前編 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

前の記事、「向ヶ丘遊園・生田撮り鉄日記」の冒頭にも記したが、6月も終わりに近づいた27日に、箱根へ撮り鉄に行ってきた。生田・向ヶ丘遊園の撮り鉄からこの日まで、何回か撮り鉄を敢行するべく時間的なチャンスはあったのだが、どういうわけだか、梅雨前線に邪魔されつづけ([雨]男ではないはずなのだが・・・[あせあせ(飛び散る汗)])、腕試しをする機会がないままこの日を迎えてしまったので、多少の不安はあった。でも、これまでの実績を糧にして箱根の山の撮り鉄に挑むことにした。今回は出発前から箱根での道中でのこと、さらに帰路までをできるだけ詳しく紹介して行きたいと思うので、記事を3~4回(もしかしたら5~6回かも・・・!?)に小分けしてアップしたいと思います。ちょっと長く、途中で飽きるかも知れませんがお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
まずは小田急新宿駅での出発前の光景から・・・。


Odakyu 30000EXE-07a.jpg
(新宿駅で出発待ちの小田急30000形“EXE”)


今回は往復ともに小田急ロマンスカーで行った。小田急ロマンスカーに乗るのは実に5年ぶりくらいだ。ただし、その時は伊豆の河津桜を見た帰りにデビューしたばかりの50000形“VSE”に乗るのが目的で、乗った区間は小田原→新宿の片道だけだった。なので、こうして往復ともにロマンスカーで本来の目的地である箱根まで行くのは20年ぶりくらいになる。そういうわけでどの形式で行くか楽しみにしながら、小田急のHPの時刻表を開いてみると・・・な、なんと午前中のロマンスカーはそのほとんどが30000形“EXE”で、前面展望席のある花形車種である“LSE”(7000形)と“VSE”(50000形)がほとんどないのには驚かされた。“LSE”は午前8時台に1本あるが、これは唐木田の車庫から出庫する関係からなのか、営業運転は新百合ヶ丘からとなっている。仮に本当に唐木田から出庫し、多摩線内を回送で走り、新百合ヶ丘から営業運転ということであれば、多摩線内を回送とはいえ“LSE”が走るのは撮るに値するので、今度、栗平あたりで狙ってみよう。


Hakone 3 For Hakone-yumoto-1.jpg
(これが今回、往路で乗った列車、“はこね3号”だ)


ところで、小田急ロマンスカーにはご存知のように形式ごとに「○○SE」という愛称が付けられている。だが、30000形に関しては「○○SE」ではなく「EXE(エクセ)」という独特の愛称が付けられている。30000形の設計上のコンセプトは「当時の花形車種の一つ“HiSE”(10000形)を上回る上品な空間を提供できるロマンスカー」ということで、“EXSE”(Extra Super Express)が愛称名の候補に挙がっていた。ところが、沿線のある地域のPTA団体から「スペルが違っているとはいえ、教育上非常に相応しくない英単語を想像させてしまう」というクレームを受けたらしく、あわてて検討し、伝統の「○○SE」の形をやめ“EXE”という愛称に落ち着いたようだ。ただし登場から20年近く経った現在では、真偽がさだかではないこともあり、この説は一種の都市伝説である。


Odakyu 4000-03a.jpg
(新宿駅で発車を待つ4000形による急行・小田原行き)


4000形はご存知の通り、JR東日本E233系の意匠の一部を小田急が買って出来た車両だ。モーターの音は本家よりも若干ソフトな印象を受ける。この急行・小田原行きは“はこね3号”より6分前の7時22分に出発し、秦野で“はこね3号”に追い越される。
こうしていろいろ撮っているうちに出発時間が近づいてきたので、“EXE”の車内に入る。指定されたのは4号車。形式はサハ30050形。VVVFの音を聞けないのは残念だが、車内では最近知ったシンガーソングライターさんの音楽を聴いて過ごすつもりだったのでそれほどショックでもなかった。それに最近のVVVF車はどれも似たような音ばかりで・・・。VVVF草創期の東急7700系や相鉄5000系VVVF改造車の音が懐かしく感じてしまう。室内は通勤時間帯の特急に重点的に充てることも設計上のコンセプトの一つだったので、通勤客にとっても敷居が高いと感じさせずかつ上品な内装に設計されている点が特徴だ。
7時28分定刻に“はこね3号”はゆっくりと滑り出し、ほどなく、南新宿駅手前の大踏切を渡り、箱根に向かい始めた。  (つづく)

向ヶ丘遊園・生田撮り鉄日記 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

5月31日。この日は撮り鉄に行く予定をたてていた。場所は前回の流れから地下線化が正式に発表された、京王線調布駅近辺にする予定でいたが、前後して6月末に箱根への日帰り撮り鉄旅行を計画したため、その準備をするべく(早い話がロマンスカー特急券の購入)、小田急線の駅に行き、そのついでに小田急線で撮り鉄をすることにした。別にロマンスカーのチケット購入なら自宅近くにある旅行代理店でも購入はできるのだが、レイルマニアであれば、やはりそこはこだわりを持って、小田急の駅で買いたいところ。というわけで、我が地元にもっとも近い登戸駅で特急券を購入し、そのついでに隣駅の向ヶ丘遊園とその隣の生田駅近辺をターゲットとすることにした。まずは生田駅で撮ったこの一枚から。


Odakyu 2000-01a.jpg
(生田駅に進入する小田急2000形による各停新宿行き)


これは生田駅の下りホームの先端から撮ったもの。生田駅はホームがあまり広くはなく、特に先端部分はかなり狭い。慎重にカメラを構えていたのが運転士に理解されたのか、警笛は鳴らされずに済んだ。この日の天気は晴れ時々曇りだったが、あまり日が差さないことも幸いし、フルカラーLEDによる種別と行先表示がほとんど崩れずに撮れたことは大変にありがたかった。2000形は小田急ワイドドア車両の決定版としてその前に登場し活躍していた1000形2mワイドドア車の長所・短所を検討して製造された。ワイドドアの開口幅は1000形の2mから1.6mに縮小された。縮小した訳は、2mだと開扉・閉扉に時間がかかり、逆に停車時分を伸ばしてしまい、結果的に後続の急行が定時運行できないというマイナスの結果が出たためと言われている。そこでいろいろ検討した結果、1.6mという開口幅に結論が達したようだ。VVVFも1000形のGTO素子から2000形が製造された1995年ごろから本格的に採用されるようになったIGBT素子に進化した。現在はワイドドアによる乗降時分短縮効果のメリットを活かし、各停と区間準急を中心に運用されている。

Odakyu 3000-01a.jpg
(生田駅に進入する3000形による各停・新宿行き)

生田駅で何枚か撮った後、改札を出て、北口から向ヶ丘遊園方面に向かって線路沿いを歩いていきながら撮影ポイントを探していくことにした。


Odakyu 4000&Tokyo Metro 16000a.jpg
(生田駅新宿方ですれ違う小田急4000形と東京メトロ16000系による“多摩急行”)

これは生田駅北口近くの公道上から撮影したもの。いちおう柵はあるのだが、線路がやや高い位置にあるせいか、あってないようなものだ。安全面への配慮からいずれはもう少し高い位置(この写真でいえば4000形の下回りぐらいの高さのところ)にフェンスが設置されてしまうだろう。最初は16000系の“多摩急行”を狙っていたのだが、すぐさま4000形の“多摩急行”もやってきた。これでダメかと思ったが、4000形の最後尾に的を絞る構えに変えた結果、このような1枚が撮れた。この一枚を撮った後、次の撮影ポイントへ移動する。


Odakyu 1000-05a.jpg
(向ヶ丘遊園8号踏切に差し掛かる1000形各停)

この踏切も悪くないなと思ったのだが、向ヶ丘遊園方にある架線柱に見事に邪魔されてしまい、このアングルで撮るのが精いっぱいだった。生田方は少し開放感があるように感じたが、踏切のすぐ先にあるカーブがものすごい緩く、カーブを突っ切る電車を撮影するのにはあまり向いていないため、ここでの撮影もこのワンショットだけで次の撮影ポイントに移動することにした。


Odakyu 2000-02a.jpg
(向ヶ丘遊園から生田に向かう2000形)

さきほどの向ヶ丘遊園8号踏切から少し北側に向かって歩いていくと小田急線と道路との間に小さな川が流れている。この川は「五反田川」という名称が付けられている。東京の五反田と縁あって付けられた名前なのかどうかはわからない。この写真はその五反田川の河川敷から撮影したものだ。構図は決して悪くはなかったが、作業用のトラックがせっかくの景観をぶち壊してしまっている。作業用のトラックがいないときにリベンジしてみようと思う。ここから再び小田急線の線路沿いに向かって歩いていくとまた踏切があったので、ここでも撮影しようと試みたのだが、周囲でマンションか何かの建設工事があり、大型車両(ミキサー車やダンプカー)の出入りなどが頻繁だったので、ここでの撮影は危険と判断し、さらに向ヶ丘遊園駅に向かって歩く。最後はここで落ち着いた。


Odakyu 8000-06b.jpg
(向ヶ丘遊園2号踏切に差し掛かる8000形による快速急行・新宿行き)

快速急行は通勤車両を使用した車両の中では最上級の列車種別だ。JR湘南新宿ラインの開業にあわせ、それまで新宿~藤沢間に設定されていた“湘南急行”を格上げした形で設定された種別だ。これまでは新宿~藤沢間の運転がメインだったが、この3月のダイヤ改正からは新宿~小田原間でも運転されるようになった。

Odakyu 1000&8000-01b.jpg
(向ヶ丘遊園2号踏切に差し掛かる1000形と8000形の混結による急行・新宿行き)

下り電車で行けば向ヶ丘遊園を出発し、折り返し線の終端を過ぎて最初にわたる踏切がこの向ヶ丘遊園2号踏切だ。写真の2000形は生田から向ヶ丘遊園に向かう上り電車だ。生田方はストレートな直線区間であるのに対し、向ヶ丘遊園方はこんなアングルとなる。


Odakyu 3000-07a.jpg
(向ヶ丘遊園2号踏切を渡り、生田駅に向かう3000形による区間準急・唐木田行き)

架線柱と信号の柱が少し邪魔だが、これだけダイナミックに撮れれば、この際、それも悪くはない。区間準急はその名前のとおり、通常の準急に対して準急区間が限定されている(通常の準急が登戸以西各停となるのに対し、区間準急は梅ヶ丘以西が各停となる)。準急区間が非常に短いため、和泉多摩川以東の複々線区間では緩行線を走り、新宿での発着も原則として地下ホーム(各停ホーム)となる。締めくくりは生田方のストレート部分と向ヶ丘遊園方のカーブ部分で撮ったロマンスカー主力2形式を。

Odakyu 30000EXE-04a.jpg
(新宿に向かう30000形“EXE”)

Odakyu 60000MSE-01b.jpg
(御殿場に向かう60000形“MSEあさぎり”)

3月に10000形“HiSE”と20000形“RSE”が引退してからは、特急ロマンスカーの主力の座はこの2形式が分かち合う形となり、これをサポートする形で50000形“VSE”と7000形“LSE”が君臨する形となっている。
20000形“RSE”の後継として60000形“MSE”が就役したが、使い古しの車両とせず新製の“MSE”を投入することでリフレッシュしたことをアピールしたかったのか。小田急側の意図がよく読めないところだ。
こうしてこの日の撮り鉄は無事に終わらせることができた。今度は生田駅の小田原方を中心にポイントを探しながら撮りに行こうと思う。で、調布はいつ行くか・・・?課題が一つ残ってしまった。出来れば7月中には行きたいところだ。



大きな地図で見る


分倍河原撮り鉄日記 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

前回の撮り鉄は、まもなく地下に潜る布田駅付近を走る京王線を撮影したが、京王線の魅力といえばやはり大きなカーブを速度を落とさずに突っ走る電車の勇姿だ。ということで、ほぼ1日快晴だった昨日、分倍河原駅近くのカーブ区間に存在する「府中4号踏切」付近で京王線の電車の撮影を敢行した。まずはこちらから。


Keio 9000-109a.jpg
(分倍河原駅を出発し、府中駅に向かう9000系30番台よる準特急・新宿行き)

9000系は21世紀の京王線の主力車両となるべく特急から各停および都営地下鉄新宿線乗り入れにとオールマイティに活躍できる車両として2000年に登場。
Wikipediaによると、9000系は現在では京王線系統で最多両数を誇るグループになっているという。その内訳は8両編成が8本、10両編成が20本存在しているとのことだ。8両編成はJRでいう基本番台に相当する0番台、10両編成は都営地下鉄新宿線乗り入れに対応していることから、同線乗り入れ車両の前任車である6000系30番台(通称・6030系)に合わせ、30番台が付与されているが、現在のところ、このグループが通称として9030系を名乗っているのかどうかは不明だ。さて、0番台と30番台は外観上は8両固定編成か10両固定編成かの違いだけで、その他は一見するとほとんど区別がつかないが、細部をよ~く眺めるとその違いが編成両数以外でもわかる。まず正面は助士席側の下部に運行番号表示器が設置されているのが30番台だ。これは都営新宿線乗り入れに必要な機器類の一つで、京王線内の運用では列車番号の表示はされないが、都営新宿線~相模原線直通急行の運用に入るときはオレンジ色のLEDで「81K」「83K」・・・といった表示がされる。また側面の客用扉の窓ガラスの形も0番台と30番台では異なっており(0番台は7000系・8000系とほとんど同じタイプのデザインに対し、30番台はJR209系によく似たデザイン)、これらが編成両数以外の識別ポイントとなる。ちなみに、この日は勢力の差を象徴しているのか0番台よりも30番台の方に遭遇する機会が多かった。続いてはこちら。


Keio 8000-118a.jpg
(“花と寺社めぐりキャンペーン”のPRヘッドマークを付けて走る8000系準特急・新宿行き)

8000系は6000系に代わる急行系車両として1992年に登場。最初は6両+4両の10両編成のみであったが、のちに相模原線特急用として8両固定編成も登場している。8両固定編成にはこの形式唯一のサハが連結されている。8000系の投入で5000系が全廃となり、6000系を各停中心の運用にシフトさせることで、京王線の特急・急行、相模原線の特急・快速と急行系運用をマルチにこなしていたが、相模原線特急の廃止(都営新宿線直通の急行に格下げ)と準特急新設および9000系の登場を契機に各停運用にも入るようになる。それでも新宿~京王八王子間の特急だけは8000系が専属的に充てられていた。アップした写真には“花と寺社めぐりキャンペーン”のヘッドマークが付けられているが、これは京王をはじめ、西武・東武・東急・小田急・東京メトロの6社が共同で実施しているスタンプラリーキャンペーンのことで、各社のフラッグシップ的な形式にヘッドマークが付いている車両を見たことがある人も少なからずいることだと思う。トリはこちらで。


Keio 7000-117a.jpg
(府中駅を出発し、高架橋を下りて分倍河原駅に向かう7000系準特急・京王八王子行き)

この地点が府中駅が全面高架化された際に既存の線路と高架の新しい線路との切り替え地点の場所だった。今ではその痕跡が全く分からないくらいにきれいに整備されている。
準特急はそれまで新宿~高尾山口間で運転されていた急行を事実上格上げしたもので(特急停車駅に分倍河原と北野を追加)、7000系に新たな活躍の場を与えた画期的な列車種別といっても過言ではない。1984年の登場時から15年近く、ほとんど各停専用として地味に活躍していた7000系だが、前述の相模原線特急廃止と9000系の登場を契機に京王線系統の車両運用の見直しが行われ、相模原線特急の職を失った8000系の8両固定編成グループが各停運用に進出し、7000系は新たに増結編成(2両固定)を新造したり、一部の編成を4両固定や8両固定に改造するなど10両編成が組成しやすいようにされて、急行系の運用にも進出が出来るようになった。その結果が準特急運用への充当で、7000系にとっては登場以来、初めての本格的な急行系運用充当となった。準特急誕生以前の7000系の急行系運用といえば、東京競馬開催時に臨時の急行(別名・競馬急行)として充当される機会があった程度だ。その7000系も再来年でデビューから30年となるが、デザインの良さが古さを感じさせず、最近では大部分の車両が足回りをVVVFインバータに更新しているので、あと10~15年は安泰と思われる。写真は偶然にも遭遇することができたゾロ目ナンバーのクハ7777を先頭とする10両編成の準特急。登場時は「おかざり」かと思われていた急行灯も格好良く点灯させている。


今回撮影した地点は分倍河原駅から徒歩で7分くらいの地点。分倍河原駅を出て京王線の線路に沿うように駅前商店街を通り抜けていくと旧甲州街道にたどり着く。ここに踏切があり、これが「府中4号踏切」だ。ここでも一応撮ったのでアップしておくが、できはイマイチだった。

Keio 8000-108a.jpg
(分倍河原駅を出発し、府中4号踏切に差し掛かる8000系準特急・新宿行き)

この府中4号踏切からさらに府中方面に歩いて行ったところが、メインの写真3枚の撮影地点である。



大きな地図で見る



前の10件 | 次の10件 撮り鉄日記(首都圏私鉄) ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。