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代田橋撮り鉄日記 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

皆さん、こんにちは。





先月は更新が出来なくて申し訳ございませんでした(>_<;)。


今日アップするのは先月末、GW直前の撮り鉄日記です。舞台は新宿から京王線で10分ほどの小さなこの駅です。

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(京王線・代田橋駅) ※プライバシー配慮のため、画像を一部加工しております。


代田橋駅です。京王線といえば、一昨年に巨大立体交差プロジェクトである「調布駅周辺地下化連続立体交差化事業」の工事が終わり、国領・布田・調布の各駅が地下駅化されたばかりですが、こんどは代田橋駅の笹塚駅方から仙川駅手前までの渋谷区と世田谷区内を高架化により連続立体交差する工事が始まるとのことです。これにより、代田橋・明大前・下高井戸・桜上水・上北沢・芦花公園・千歳烏山の各駅が高架駅化されるとのことです(すでに高架駅化されている八幡山駅はそのまま)。高架化されるのは10年くらい先のことですが、今後、仮線敷設などにより現状を維持できるのはあと1~2年というところでしょう。というわけで、まもなく見納めになる代田橋駅から千歳烏山駅までの平坦区間をいまのうちに記録として撮っておこうと思った次第です。


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(代田橋駅を通過する8000系特急・新宿行き。高架化されるとどんな光景になるのか!?)



次の写真は代田橋駅舎脇の踏切からとった1枚です。


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(代田橋駅を高速で通過する7000系特急・京王八王子行き)



高架化後の代田橋駅は島式1面2線になる予定なので、このアングルで撮れるのはあとわずかとみていいでしょう。

ところで、7000系は近年のリニューアル工事で足回りは全車両が界磁チョッパからVVVFインバータに換装されましたが、行先表示器は大半がフルカラーLEDとなりましたが、一部にまだ幕式のものが存在しており、登場時からの7000系を見ている私としてはちょっとホッとします。LEDは確かに見易いし、遠くからの識別もできるスグレモノですが、幕式には幕式ならではの温かみがあるのもこれまた事実です。この写真を撮ったあとは代田橋駅から少し離れたところで撮影してみました。


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(東京都水道局の近くから撮影した7000系特急・京王八王子行き)



この写真は、代田橋駅近くにある「東京都水道局・和田堀給水所」の近くから撮影したもので、写真後方が代田橋駅となります。次の写真はほぼ同じ地点で明大前駅側から撮ってみました。


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(明大前駅から、終点・新宿駅に向けて疾走する8000系特急)



8000系も登場から20年が経過し、登場時は休日ダイヤ(シーズンダイヤ)を中心に特急の一部を京王八王子行き・高尾山口行きの二方向列車として運転するため、6000系にあわせ、分割・併合が可能な6+4の10両編成として製造されましたが(6000系は5+3の8両編成)、シーズンダイヤが廃止され、「準特急」が創設されてからは京王八王子行き・高尾山口行きともにそれぞれ単独の列車として運転されることが多くなり、準特急が大幅に縮小された現状のダイヤでは二方向列車の設定は計画していないためか、一部の編成から10両固定編成化の工事が始まりました(中間に連結されていた先頭車を完全な中間車に改造)。代田橋~仙川間の高架化工事が完了するころには10両編成の全編成が10両固定編成になっていることと思います。トリはいまや7000系や8000系よりも露出機会の多いこの形式で…。


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(明大前駅から代田橋駅に向かう、9000系トップナンバー編成による各停・新宿行き)



9000系は6000系の置き換え形式として登場しただけのこともあり、露出頻度は京王線でナンバーワンとも言えるでしょう。9000系には都営新宿線に乗り入れ可能なタイプと乗り入れ不可能なタイプの2タイプが存在しており、写真の9701Fは地下鉄乗り入れ不可能タイプです。両数的には乗り入れ可能タイプの方が圧倒的に多く、地下鉄乗り入れ運用の他にも10両編成の運用であれば、地上線運用も担当しています。


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(明大前駅から笹塚駅に向かう9000系・区間急行新線新宿行き)



「区間急行・新線新宿行き」とみてしまうと、いかにも新線新宿駅止まりの列車かと思いますが、実態は新線新宿からは都営新宿線の急行として引き続き本八幡駅まで運転を継続します。つまり京王線内の行き先と都営新宿線の行き先を新線新宿駅で切り替えることで別々に表示しているわけなのですが、それは内部向けにわかり易くしているだけで、乗客側からすると紛らわしいことこの上ありません。まして修学旅行などで、東京に不慣れな人が見たらどうなるか?そのぐらいは考えてほしいものです。


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(明大前駅に先行列車が停車中のため、止むを得ず停車する9000系。高架化後もこんな光景が続くのだろうか?)



これで今回の撮り鉄は終了。次の撮り鉄は今月末に予定しております。首都圏から離れます。
前々回の「名古屋撮り鉄日記」の最後の方に「もしかしたら近いうちにまた名古屋に行くことになるかも・・・」と記しましたが、それが実現するようです。

それでは、またその時まで。

(撮影地付近の地図のURL)
https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%BB%A3%E7%94%B0%E6%A9%8B%E9%A7%85/@35.6700347,139.6590475,17z/data=!4m2!3m1!1s0x6018f3056584d65f:0xaa8dfed0ff69b3bb

屏風浦撮り鉄日記 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

どうも、こんにちは!(^o^)/

今回は京浜急行の撮り鉄日記をアップしたいと思います。



京浜急行はこのブログでは一昨年の暮れ、京急蒲田付近の完全高架化の際に一度アップしていますが、今回は私にとっての撮り鉄の原点となっている地でもあり、定番撮影ポイントである屏風浦駅上りホームからの写真をご紹介いたします。


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(屏風浦駅を高速で通過する1500形1700番台車による快速特急)



いまや都営浅草線に乗り入れる1500形も最初からVVVF制御で製造された1700番台のみ。寂しい限りです。それだけに昨年の土砂に乗り上げ事故で1編成が廃車になってしまったのは本当に残念です。

ところで、私が、この撮影ポイントと初めて出会ったのは、今から35年くらい前。当時小学校低学年であった私は、母の知人のところによく連れて行かれ、その帰りに母におねだりして京浜急行に乗せてもらったのがきっかけです。当時の京浜急行はまだロングレールが本格的に採用されておらず、おまけに現在のように列車接近のアナウンスやブザーなどはなかったのですが、「チュチュン、チュン、チュン」という感じでレールから接近してくる電車の音が聞こえてきたので、それで電車の接近がすぐにわかりました。初代1000形の非冷房車の普通・浦賀行きが来て、客扱いを終え出発すると直後に初代1000形の特急または2代目600形の快速特急が通過していきました。その光景はとても迫力があり、30年以上経った今でもなんとなく脳裏に焼き付いているくらいです。そしていつか自分でカメラを手にしたら、必ずここで撮ってみるぞ!と思わせてくれた地なのです。ちなみに「チュチュン、チュン、チュン」の音の正体は電車がジョイント部分(=継ぎ目部分)を通過する際、自然に発生する車輪とレールの摩擦によるものでした。ロングレールになり、ジョイントが無くなった現在では聞くことが出来ない音です。


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(屏風浦駅を高速で通過する、2代目1000形による、エアポート急行・新逗子行き)



いまや、名実ともに京浜急行の主力車両となった2代目1000形。快速特急から普通まで幅広くこなします。2代目1000形といえば、後述する2100形と同様のドレミファ・インバータの起動音ですが、あの音を作ったのは外国のメーカーで、メンテナンスに莫大な費用が掛かってしまうため、今ではほとんど(それとも全車?)が日本製のものに取り換えられてしまい、ドレミファ音で出発する光景はほぼ過去のものになりつつあります。


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(屏風浦駅を高速で通過する2代目1000形ステンレス車による、快特・三崎口行き)



2代目1000形は途中から車体がアルミ車体からステンレス車体となりました。コスト削減の観点では良いことですが、いつ見ても真っ先に思うのはこのステンレス車のカラーリングです。京急といえば、真っ赤な車体に窓周りもしくは窓下に白帯というスタイルが定番でしたが、このステンレス車は見事なまでにその定番をぶち壊してくれました(>_<#)。完全に塗装してくれとまでは言いませんが、せめて東京メトロ銀座線用1000形の技術を見習って、フルラッピングで銀色の地肌部分は隠してほしいです。たぶんこのカラーリングには大の京急通であり、“ロングおじさん”のニックネームでフリーアナウンサーとしても有名であった故・吉村光夫氏も草場の陰で泣いているのではないでしょうか・・・。


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(屏風浦駅に停車中の1500形普通・浦賀行き)



1500形は初代1000形の後継車として都営浅草線乗り入れ用車両として登場しましたが、“ロングおじさん”こと吉村光夫氏は「1500形は現代の車だが明日の車ではない」とご自身の著書で厳しく批評されています。即ち、初代1000形の後継車としては認められるが、未来の京浜急行を支えるには物足りない車両だ・・・と私は解釈しています。その解釈が正しいのかどうか、2代目1000形が登場すると、早々と都営浅草線乗り入れ運用からは外れていき、8連でA快特(品川始発の快速特急)、6連で普通を中心に時折D急行(品川または京急川崎発着の南行方面の急行)に充当されていくようになりました。そして、京急蒲田付近の高架化工事が竣工し梅屋敷駅が6連対応ホームに変わったのを契機に8連も編成がバラされ6連化が一気に加速しました。そして吉村光夫氏のご指摘に呼応するかの如く、界磁チョッパ制御はVVVFインバータ制御に換装されていきました。吉村光夫氏のご指摘は正しかったということですかね・・・。


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(屏風浦駅を通過する1500形1600番台によるエアポート急行・新逗子行き)



エアポート急行は新逗子・京急久里浜方面から羽田空港に直行する急行列車です。京急本線は一時期、日中の快速特急を12両編成化し、京急川崎発のD急行新逗子行きは、品川発としたうえで、泉岳寺方面からやってくる快速特急に併結することで、快速特急に格上げされました。しかし、逗子線の利用者数に対し4両編成というのは需給的にマッチしていなかったようで、京急蒲田駅構内に短絡線を設置することで、横浜方面からの直通運転を可能とさせることによって登場したものです。2000形の8連が専属的に充当されることで、これにより逗子線の輸送力改善が図られました。趣味的観点でみるとD急行の復活は嬉しい反面、その停車駅の多さには理解に苦しむところがあります。とりわけなぜに能見台・弘明寺・井土ヶ谷に停車し、かつて停車していた京急富岡と黄金町を通過するのかが謎です(JRの駅に隣接している杉田と仲木戸の停車はある程度理解できます)。エアポート急行の今後の課題は停車駅をもう少し絞り込むことでしょう。そしてこの日のエアポート急行にはちょっとした珍客がやってきました。


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(都営地下鉄5300形によるエアポート急行・新逗子行き)



これは定期運用なのでしょうか?それとも代走なのでしょうか?気になるところです。続いて、エアポート急行の主と普通列車の主に登場していただきましょう。


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(屏風浦駅を高速で通過する2000形による、エアポート急行・金沢文庫行き)



まずは、エアポート急行の主である2000形。言わずと知れた2代目快速特急専用車両であり、京急で初めて両開きドアを採用した形式でもあります。2100形の登場で3扉化されてしまったのは少々残念なところですが、エアポート急行の主として頑張っているので良しとしましょう。エアポート急行は2000形が中心的に運用され、それだけでは回しきれない分を2代目1000形等でフォローしています。2000形も登場から今年で30年。まだまだ現役で頑張れる体力はありそうですが、老朽化は随所で目立ち始めており、初期の車両から廃車が進んでいるとのこと。写真の2011Fも今度の検査期限切れで廃車になるのはほぼ確実です。というのは京急では廃車が予定されているされている車両については特別な塗装を施した上で、次の検査期限がきたらそのまま廃車というジンクスみたいなものがあるからです。その根拠としてかつて、初代1000形の4連×2編成をそれぞれ大師電鉄風の茶色一色と湘南電鉄風の赤と黄色のツートンカラーに復元しましたが、どちらも検査期限がきたところで、延命工事はせず、そのまま廃車という前例があるからです。この2011Fも次の検査期限切れで廃車にすることを前提で、登場時のカラーリングである赤い車体に窓周り白色というパターンに復元させたのではないでしょうか。続いては普通列車の主を・・・。


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(屏風浦駅に進入する800形 普通・浦賀行き)



800形は昭和53年に登場した、都営浅草線乗り入れを意識しない社線内用車両として登場しました。3連で普通、6連でD急行を担当できるように設計されました。そのため、801F~810Fまでは3両固定編成で登場しました(811F~827Fまでは6両固定編成で登場)。しかし、800形が登場したころ、都内にある梅屋敷駅のホームが4両分しかない上にホーム両端を踏切に挟まれていたため、ホームを延伸することが出来ない状態でした。このため、普通列車の6連化が思うようにできず、登場当時800形が普通列車に充当されたのは、朝夕ラッシュ時に限られていました。日中は京急川崎~新逗子間のD急行に専ら充当されていました。また前述のとおり、3連で登場した801F~810Fはローカル線時代の空港線の普通列車として活躍していました。

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(屏風浦駅を後に、上大岡駅に向かう、800形 普通・品川行き)



登場から36年あまり。現在では3両固定編成はなくなり、空港線はローカル線から幹線に昇格され、さらにそこへ追い打ちをかけるように新駅として開業した羽田空港国際線ターミナル駅には3扉車対応のホームドアが設置されたことにより、800形は空港線への入線が不可能となってしまいました。当然のことですが、老朽化は2000形以上に目立っており、いつ引退の時期を迎えるのか気が気でなりません・・・。最後は花形車両で締めくくりましょう。


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(屏風浦駅を高速で通過する2100形快速特急)



2100形。京急の3代目快速特急専用車両として平成10年に登場。車体は日本製だが、電機品はドイツ・シーメンス社製で、2代目1000形のところでも少し触れた、ドレミファ音を奏でるVVVFインバータの音はこのシーメンス社の技術によるものです。2000形まで継承された固定クロスシートの採用をやめ、転換クロスシートとしましたが、座席の向きは常に進行方向と同一になるように乗務員室で操作するように設計されており、乗客の任意で座席の向きを変えることもできないので、実質的には固定クロスシートです。都営浅草線・京成線乗り入れにも対応出来るように設計されましたが、都営浅草線には当時の東京都知事の意向で乗り入れが叶いませんでした。





こうして1時間半ほどですが、京急の車両を撮りました。都営5300形のエアポート急行は予想外の収穫でした。帰りは屏風浦から横浜まで800形の各駅停車に乗車し、横浜からは東横線~副都心線~東武東上線直通の特急川越市行きで帰路の途に就きました。その道中に思ったことはTwitterにてツイートしていますので、併せてご参照いただければと・・・思います。





3月も残すところ、あと1週間ほど。次の撮り鉄は桜との絡みを予定しています。昨年は開花が予想以上に早かったため、上手くいきませんでしたが、今年はどうにか上手くいきそうな予感が・・・。次の更新は4月の中旬ごろになると思いますが、それまでどうかご容赦いただければと思います。出来るだけ早く更新できるよう努力はしますが・・・。



それでは、また!

約1か月半遅れの2014年更新初め・・・(_ _;) [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

2014年の「幸せな管理人さんの日記帳」の更新は何と約1か月半ほど遅れてのスタートとなってしまいました。申し訳ない限りです。





言い訳がましいようですが、1月の中ごろに撮り鉄の予定は立てていました。ところが、風邪をひいてしまい、これがなかなか治らなくて・・・、結局、今日の撮り鉄までお預けとなってしまったのです。





さて、そのきょうの撮り鉄ですが、当初の予定では横浜方面に行く予定でした。ところが不覚にも大寝坊をしてしまい、予定を大幅に変更することに・・・(><;)





目が覚めて時計を見たら9時30分。ま、この時間でも行けないことはないのですが、地元の多摩地区から横浜方面へは一番早いルート(中央線快速―湘南新宿ライン)を使っても1時間半はかかってしまうので、起きてご飯を食べたりするなどしていくと出発は約1時間後。つまり10時半ごろの出発になるのですが、こうすると横浜に着くのが、お昼ごろになってしまい、さらに日没前に帰宅することを考慮すると現地で撮り鉄できるのは1時間程度となってしまい、これでは往復するだけで終わりという感じになってしまうので、泣く泣く今回は比較的地元に近いところにしました。そして着いた先はここ。


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(京王多摩センター駅に進入する京王8000系 特急・橋本ゆき)


出来るだけ多くの形式が見られるところにしようと思い、北側の西武池袋線にするか南側の京王相模原線のどちらにするかちょっと迷いました。ところが、西武池袋線は朝方の東武東上線内のトラブルに巻き込まれてしまい、一部列車に運休や遅れが発生していることが携帯の運行情報で判明。これで行く先は南側の京王相模原線に決まりました。撮影ポイントは京王相模原線の中核駅で、全列車が停車する京王多摩センター駅の京王永山駅寄りにしました。





京王相模原線は相互乗り入れをしている都営新宿線乗り入れ対応型の9000系9030番台が主力で、これに7000系・8000系といった京王の主力でありながら、都営新宿線に乗り入れができない、いわゆる社線内専用形式と相互乗り入れの相手である都営新宿線から10-000形と10-300形が脇を固めています。相模原線に入ってこないのは、8000系の8両バージョンである8020番台と、9000系の都営地下鉄乗り入れ非対応型の9000系9000番台ぐらいです。

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(京王相模原線の基幹列車である都営新宿線直通・区間急行。写真は下りの橋本ゆき)


京王は約1年前の昨年2月にダイヤ改定を実施しており、改定前の相模原線の最上級列車は都営新宿線直通の「急行」でしたが、東日本大震災以降、事実上の廃止状態であった「特急」について停車駅の見直しをしたうえで復活させることに。運転系統も京王八王子系統と橋本系統の2系統体制となり、それまでの相模原線の最上級種別であった「急行」は京王線新宿発着・都営新宿線非乗り入れ列車としたうえで「特急」に格上げとなりました。そして、都営新宿線直通列車については調布~新線新宿間のみ急行運転となる「区間急行」に格下げとなってしまったのです。


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都営新宿線直通列車が「区間急行」に格下げとなってしまったのは残念なところですが、「特急」が復活したことで、社線内型の7000系・8000系の相模原線内での運用が増えたという楽しい一面も。アップした7000系は特急・橋本ゆきです。改定前の相模原線は「急行」・「快速」「各停」の3本立てで、そのほとんどに9000系9030番台が充当され(稀に9000番台も充当)、7000系・8000系は快速と各停の一部に充当されていたのみでしたが、改定後は「特急」・「区間急行」・「快速」の3本立てとなり、区間急行は都営新宿線に直通する関係で、早朝・深夜の京王線新宿発着分を除き、9000系9030番台が充当されますが、特急と快速については京王線新宿発着ということもあり、7000系と8000系が主に充当されます。そして区間急行にはこの車両も充当されています。


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(京王多摩センター駅に進入する東京都交通局10-300形2次車)



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(京王多摩センター駅に進入する東京都交通局10-300形3次車)



両者とも開業時から活躍してきた10-000形6次車までを置き換えるために投入された車両ですが、製造コストを抑えるため、JR東日本の車両がベースとなっています。2次車まではE231系800番台、3次車はE233系2000番台がベースとなっています。ベースというよりは下回りを中心にE231系・E233系そのもので、走行音は全く同一、台車だけ1,372㎜軌間対応になっているだけです。特に3次車は帯を取ればE233系2000番台そのものです。

と、まあこんな感じで2時間ほど京王多摩センター駅で撮影しました。10-000形が撮れなかったのが残念でしたがそれなりに収穫を感じることができた2時間でした。それでは最後に相模原線の主力車両である9000系9030番台の晴れ姿のアップで締めくくりたいと思います。

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(京王多摩センター駅に進入する、9000系9030番台による特急・橋本ゆき)



今回行けなかった横浜方面へは、来月、リベンジで必ず行きます!ただ、それまでにいやーなお知らせがアナウンスされなければいいのですが・・・。





本年も「幸せな管理人さんの日記帳」をよろしくお願い致しますm(_ _)m。

妙蓮寺撮り鉄日記 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

久々の私鉄ネタです。





東急東横線は当初の予定では先月行く予定でいたのだが、夏風邪で体調を崩してしまった上に、不安定な天気が続いた影響で、この日までお預けとなってしまった・・・。





8月6日、朝6時半ごろに自宅を出発し、まずは拝島駅から西武拝島線に乗り、小川・東村山乗り換えで所沢に向かう。東横線の撮り鉄に行くのにどうして所沢?と思われてしまうだろうが、往路は副都心線経由で向かうと決めていたためだ。

所沢では新木場行きが続くので、元町・中華街行きを待たずに新木場行きに乗り、小竹向原で元町・中華街行きに乗り換えることにする。

所沢から西武4574 準急・新木場行きに乗車。車両はメトロ10000系で新鮮味がない。石神井公園までは各駅に停車し、石神井公園~練馬間だけが準急運転となる。小竹向原で和光市方面からやってくる元町・中華街行きに乗り換える。東武3617T~メトロ617Tとして東武9050系9152Fがやってきた。副都心線内は通勤急行である。日中の急行との停車駅の違いは氷川台~地下鉄成増の各駅に停車するか否かの違いで、通勤急行は氷川台~地下鉄成増の各駅に停車する。

渋谷からは東急817081・通勤特急として東横線・みなとみらい線を疾走する。通勤特急と日中の東横特急との停車駅の違いは東横線内は日吉に停車するか否かだけだ。小竹向原から約40分ほどで菊名に到着する。速い。菊名到着後は反対側の待避線で停車中の東急025071に乗り換え、一つとなりの妙蓮寺駅で下車。改札を出て、7~8分ほど歩き、今回の撮影ポイントである「妙蓮寺3号踏切」にむかう。

妙蓮寺3号踏切についてカメラを構えたところで、幸先よくこの電車がやってきた。


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(妙蓮寺3号踏切に差し掛かる、東急4110F“Shibuya Hikarie”号)



行き先が和光市となっていたので、2時間ほど粘れば、再び戻ってくるだろうと踏んでいたのだが、その予想はちょっと甘かったようだった。手持ちの東京時刻表で調べてみるとこの列車は東急056082~メトロ856K列車であったようだが、和光市到着後は和光検車区に入り昼寝となってしまったようだ。気を取り直し、撮影を続ける。行きで乗ってきた東武9050系は東急817082~メトロ817T~東武3817Tとして戻ってきた。


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(通勤特急・森林公園行きとして折り返して来た、東武9050系)



シャッターを切るのが良かったのか悪かったのか、50070系とのツーショットとなった。デジカメでこの画像を確認した瞬間、京成押上線内ですれ違う京浜急行の電車が思い浮かんだ。相互乗り入れによる産物というやつか。副都心線を軸とした相互直通運転で複数形式を所有するのはメトロと東武のみだ。

その50070系は東武3721T~メトロ721T~東急821081列車として元町・中華街まで行った後、折り返しは元町・中華街発・東急821092列車として渋谷までの東横線内のみの営業列車として帰ってきた。


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(東急821092として、東横線内のみを営業運転する東武50070系。東横線内は急行である)



ところで、これは現在発売中の鉄道ファン9月号の特集記事でも簡単に触れられているが、副都心線で活躍する車両が一同に集結するのは、平日で見た場合、朝夕のラッシュ時に限定される。どういことかというと、東武の車両が平日の日中に姿を見せないのだ。午前中は上記の東急821092が東武車による最後の運用となり、その次は渋谷20時05分発のメトロ1907T~東急807201までない。理由はよくわからないが、乗り入れ形式の主力である9000系がチョッパ制御車ということもあり、他形式車よりも消費電力が多いということも一因なのだろうか?土休日はほぼ終日で東武車も副都心線・東横線に姿を見せるが、その数は西武車よりも少ない。その西武車も朝夕のラッシュ時中心の活躍だが、平日の昼間も姿を見せる。


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(特急・保谷行きとして姿を見せた西武6000系)



この列車は元町・中華街を東急138092として出発し、渋谷からメトロ938M、そして小竹向原から西武6657として保谷に向かう。東横線内は特急運転であるため、種別・行先はご覧のとおり特急 保谷」と表示される。保谷駅はご存知の方も多いが、西武池袋線の中間駅で、停車するのは準急・通勤準急・各停のみで、急行はもちろん、他社の特別料金不要の特急に相当する快速急行も停まらない。そんなわけでこの表示は東横線内だけの種別とはいえ、ちょっとした面白味を感じる。この電車のあと、しばらく東急車とメトロ車の車両が続くが1時間ほどで再び西武車が姿を見せる。


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(東急126101として約1時間ぶりに姿を見せた西武6000系)



この電車は飯能始発で、西武3714~メトロ926M~東急126101として走り、元町・中華街到着後は4分の折り返しで、東急126112~メトロ1126M~西武1857として、小手指に向かう。


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(小手指行きとして戻ってきた西武6000系)



ところで、元町・中華街駅は横浜高速鉄道・みなとみらい線の終点駅だ。その横浜高速鉄道からは東急5000系をベースとしたY500系が乗り入れる。


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(陽射しでLEDが途切れ読めないが、おそらく小手指行きとしてやってきたY500系)



Y500系はみなとみらい線・東横線~副都心線・西武線の直通がメインとなっているようだ。これは東武東上線が各停でも10両編成が標準であるため、8両編成だと輸送力が若干落ちてしまい、結果的に東武線に入りにくいという事情が多少は影響しているようだ。

Y500系は全部で6編成という小所帯で、運用も東急5050系8連組(5050番台)と同一となっているので、東京時刻表で調べ上げてもその運用がわかりにくい。


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(ベイスターズ応援列車となっているY500系515編成)



全部で6編成という小所帯のY500系だが、横浜市が出資している第三セクター鉄道ということもあり、同じ横浜市が出資している市民球団「横浜ベイスターズ」の応援編成も存在する。昨年までは装飾も割と派手で、正面にベイスターズのロゴをあしらった楕円形のヘッドマークを取り付けていたので、遠目からでも判別できたが、今年はメトロ・西武・東武にも乗り入れることを意識しているのか、装飾は控えめで、正面にヘッドマークも取り付けられていない。そのかわりといっては何だが、各車両の側面にベイスターズのロゴをあしらったステッカーと、監督自らの直筆をもとに作成したものと思われる「勝」というステッカーを貼付している。2ヶ月後には堂々とした姿で西武球場前⇔元町・中華街間の臨時電車として君臨している姿を見たいところだ。


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(各停・和光市行きとして運転中の東急5000系)



この相互直通運転で最も姿を見せる機会が多いのがやはり東急車だ。最初にアップした写真であるが、一見すると5050系のように見えるが、5050系ではない。さらにこの車両の生い立ちを追っていくと、登場時は上部のピンクの帯はエメラルドグリーンの帯だった・・・と、ここまで書くと、だいたいお判り頂けるかと思うが、この車両は5050系の基となった5000系で、登場当初は田園都市線に配属されていたのだ。諸事情で、4編成が中間車2両を抜き取り、8両編成として東横線に転属してきた。

この転属編成を識別するポイントは内外それぞれに一つずつある。まず内部はシートモケットのカラー。5050系は赤色であるのに対し、5000系は青色となっている。これが内部の識別ポイントだ。そして外部であるがこれは形式ステッカーの十の位が識別ポイントとなる。5050系は51から始まり、現在26編成存在しているので、十の位が5~7となる。いっぽう5000系はJRでいう「基本番台(0番台)」という位置づけなので、十の位は0~4ということになる。これが外部の識別ポイントだ。次は副都心線乗り入れを想定して作られた枝形式を。


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(東急052112として川越市に向かう東急5050系4000番台)



正面のナンバーから「東急4000系」と略してしまいがちだが、正式には5050系の枝形式で「東急5050系4000番台」というのが正式な形式名称だ。5050番台との識別ポイントは一目瞭然、編成両数だ(5050番台=8両固定、4000番台=10両固定)。ただしこれはいまのところのことだけで、5050番台はあと3編成新造すると番号がいっぱいになるので、今後は8両編成の4000番台が出てくる可能性もある。


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(東急5050系の本家は8両固定編成、4000番台と識別するためのステッカーも貼付されている)



最後に東京メトロの車両をアップしよう。東京メトロからは10000系と7000系が乗り入れてくる。10000系は在籍する36本すべてが10両固定編成であるため、副都心線内は東横特急の運用が中心となる。あとは副都心線と一体運転を行う有楽町線のメトロ受け持ち分の列車の主力となる。


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(飯能行き特急として、東横線を疾走する東京メトロ10000系)



一方、7000系は8両編成15本と10両編成6本の2種類が存在しており、副都心線~東横線で見かける機会が多いのは東京メトロの車両は7000系の方である。これは東横線内各停のメトロ車持ち分と一部の東横線内急行が8両編成で運転されるためである。逆に7000系生誕の路線である有楽町線では10両編成が大幅に減ってしまったこともあり、見かける機会はほとんどない。


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(小手指行き急行として東横線内を走る東京メトロ7000系。写真の編成は有楽町開業にあわせ製造された1次車だ)



こうして東武東上線・西武池袋線~副都心線~東横線・みなとみらい線を走る電車を撮りながら、一番最初に運よくゲットできた4110Fの帰還を待っていたが、それはかなわなかった。ちょうど物理的帰ってくるであろう時間を過ぎても帰ってこなかったので、ここで撮影を終わらせることに。

撮影終了後は妙蓮寺駅前のラーメン屋で昼食を済ませ、菊名駅から横浜線に乗り換えて、横浜線の撮影ポイントを予習しながら帰宅の途についた。



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いすみ鉄道撮り鉄日記(5)~撮り鉄佳境編 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

いすみ鉄道の撮り鉄日記はこれが最終列車となります。もうしばらくお付き合いくださいませ[あせあせ(飛び散る汗)]




さて、下り普通63Dを撮り終えたところで、時計の針は13時30分を回っていた。次の列車は約1時間後、上り普通64D・大原行き、そして先ほど撮りこぼしてしまった急行104D“急行2号”の折り返しである、下り急行105D“急行3号”と続く。小腹も空いてきたので、ここらへんで昼食とする。小谷松駅方面に勝浦街道を歩いていくと小さな食堂兼雑貨屋があり、そこで食事を済ませる段取りでいたのだが、食堂はどういうわけか材料が底をついてしまったとのことで、営業終了となっていた。背に腹は替えられないので、コッペパンを2つ買って、上り普通64Dを待っている間に食べることにした。学校給食でコッペパンが当たり前のように出た私の世代ではこれだけでも十分なご馳走だ[ぴかぴか(新しい)]





この後の列車は、先ほどの列車を撮影した場所とはまた違う場所から撮影することに。

小谷松駅に最も近い「第二山下踏切」近くの空き地から撮影することに。まずは上り普通64Dを後追いで撮ってみた。


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(小谷松駅に向かう上り普通64D・大原行き)



あと0.01秒シャッターを切るのが遅ければ、ぴったり真ん中に車両が入っていたかも知れない。だがこれでも十分な出来だ。そしてこの数分後、この日最後の上総中野行きの下り急行が通過する。踏切が鳴りはじめると、小谷松駅方から重みのあるエンジンの音が聞こえてくる。


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(東総元駅に向かう急行105D“急行3号”。この日最後の全線通し運転の下り急行だ)



これは逆にあと0.01秒シャッターを切るのが遅かったら、とんでもない仕上がりになっていただろう。そして次の列車はこの急行105Dの折り返しである急行106D“急行4号”だ。この列車を撮影するべく急行104Dを撮る予定だったポイントに場所を変える。ここから先は時計とのにらめっこだ。そして急行106D“急行4号”が東総元駅を出発した15時19分ごろ、西間踏切の警報機が鳴りだし、その数十秒後に撮影ポイント近くの勝浦街道踏切の警報機も鳴りはじめる。遠くからキハ28が先頭の急行106D“急行4号”が姿を見せる。スピードはそれほど出ていないので、ファインダーをのぞきながら慎重にシャッターを切るタイミングを見極める。そして撮れた写真はこんな感じだった。


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(本日最後の上り全線通し運転急行となる、急行106D“急行4号”)



ほぼ思い通りの絵が描けたような感じだ。思えば、急行104Dのときは曇り気味で小雨もぱらついていたが、時間の経過とともに雨雲は去り、この日で一番の空模様だった。そんなことも考えると急行104Dの撮りこぼしは決してマイナス材料ではなかったようなすがすがしい気分になった。この列車を撮り終えたところで、この日の撮影はひとまず終了。時刻表をみると、小谷松駅に次の上り列車が来るのは16時56分の普通68Dまでない。この列車まで待つと、大多喜駅のグッズショップの営業時間に間に合わないことが判明。いすみ鉄道のグッズショップは大多喜・国吉・大原の各駅にあるのだが、いずれも営業時間は17時までだ。せめて土曜・日曜ぐらいは18時30分ごろまで営業していてもらえると有難いところだ。列車での移動を諦め、勝浦街道にある「部田」という小湊バスの停留所があったので、ここのバスの通過予定時刻を見てみる。すると15時50分に大多喜方面行きのバスが来ることが判明。どんなに時間がかかっても16時30分までには大多喜駅に着くだろうと読んでこのバスに乗って大多喜駅まで向かった。そしてグッズショップでいすみ鉄道のグッズを何点か購入する。どれも値段は市中相場よりも若干高めなのだが、これには訳がある。それは、前の章でもご紹介したいすみ鉄道ホームページ内にある、鳥塚社長のブログを読んでいただければわかるので、ここでの説明は割愛させていただきます。





グッズを購入したあとは、大多喜の街を散歩しながら、少し早目の夕食も済ませる。何分、昼食がコッペパンだけではやはりすぐにお腹が空いてしまうのが本音。夕食を済ませた後は徒歩で城見ヶ丘駅に向かい、本日の締めくくりの写真を撮った。


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(もう少し綺麗に流れれば良かったのだが・・・)



この列車の撮影をもって、今回のいすみ鉄道の撮り鉄行は無事終了。最後はもう乗れるチャンスはないだろうと半ば諦めかけていたいすみ200型2連による普通70D列車で大原に向かい、大原から20時20分発のこれも本日最後の上り外房特急「わかしお30号」で帰路についた。


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(きょう1日お世話になりました!!)

いすみ鉄道撮り鉄日記(4)~撮り鉄本番編<その2> [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

急行101D列車の折り返しである、普通102D列車で撮影ポイントを見極める。本数の多さ(というほどのものではないが・・・)から考えれば、大原~大多喜間で狙うのが効率的で、いろいろな写真が撮れるところだが、この区間はFaceBookの「いすみ鉄道公式ファンページ」という名のページで色々と紹介されており、多くの撮り鉄さん達で混み合うことは容易に想像つくところだ。



そこで、今回のダイヤ改正でキハ52+28が初入線となる大多喜~上総中野間に絞り込むことにした。車窓に流れる風景をよく見ながら、撮影ポイントは小谷松(こやまつ)駅付近とすることに決めた。ここまで決まればあとは行動あるのみ。普通102D列車の折り返しである普通103D列車に乗り込み、大多喜から一駅先の小谷松駅に向かうことに。小谷松駅から歩くこと10分あまり、最初の撮影ポイントでゲットできたのはこの列車だ。


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(いすみ350型<=手前>といすみ300型の2両編成による普通61D・上総中野行き)



ところで、前の記事の最後で「とんでもない失態を犯してしまった・・・」と記したが、それはこの列車の撮影前に起きた。時刻表上では小谷松駅に先にやってくるのは、大多喜から小谷松駅まで乗車した普通103Dの折り返しである急行104D“急行2号”だった。そのための撮影ポイントも予習しておいた。ところが、私はいすみ350型が先頭でやってくる普通61Dの方の撮影に気をとらわれてしまい、すっかり“急行2号”のことは忘れてしまっていた。気が付いたときは時すでに遅し・・・。近くの踏切は警報機が鳴りだし遮断機も降りはじめ、急行104D“急行2号”ははるか遠くより姿を見せ始めていた。急いで、撮影ポイント近くまで向かい、カメラを構えたが、露出補正が間に合わず、「撮りこぼし」となってしまった[もうやだ~(悲しい顔)]。つまり、先に来る列車がどちらなのかをわかっていながら、時計を見忘れたがために招いてしまったイージーミス。このミスは次の急行106D“急行4号”で挽回するしかない。それまでの間にやってくる列車はすべてこの付近で撮ることにした。



気を取り直し、普通61D列車を撮り終えた後は、田園地帯の中を東総元駅方向に歩きながら撮影ポイントを探していく。15分ほど歩いたところで「西間踏切」という小さな踏切を見つける。ここは上総中野方が緩い右カーブとなっており、その外側からカメラを構えれば上り列車が少し迫力気味に撮れるのでは?と推察する。直近でやってくるのは先ほど撮影した普通61Dの折り返しである普通62D。この列車をターゲットとしてカメラを構える。警報機と遮断機の間にあるわずかな隙間を利用してカメラのレンズを合せる。そして撮れた写真はこんな感じだった。


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(東総元駅から小谷松駅に向かう普通62D・大原行き)



まあまあ、狙い通りの写真が撮れた。次にやってくるのは下り普通63D。約10分後に通過予定だ。この列車は違った角度から撮影しようと考え、上り62Dを撮ったポイントとは別のポイントで撮ることにした。西間踏切を渡り、線路沿いに並走する勝浦街道にでて約10分後、下り普通63Dはいすみ300型単行による列車だった。


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(小谷松駅から東総元駅に向かう、下り普通63D・上総中野行き)



ところで、今回、いすみ鉄道を撮り鉄に選んだ理由はキハ52+28の“観光急行”の撮影もそのひとつなのだが、他にもうひとつ理由があった。それは下り61Dの先頭に立っていた「いすみ350型」を生で見る、撮ることだった。

いすみ鉄道は開業以来使用し続けてきた「いすみ200型」の後継車両を5両の新製気動車で置き換えることになった。

「いすみ200型」は富士重工が開発した15m級の「LE-Carシリーズ」と呼ばれるレールバスで、最盛期には岐阜県の樽見鉄道や兵庫県の三木鉄道、北条鉄道をはじめとする国鉄・JR転換三セク鉄道の多くで見ることができた。首都圏でも足尾線から転換したわたらせ渓谷鐡道や真岡線を転換した真岡鐡道で見ることができた。いすみ鉄道にはこの「LE-Carシリーズ」が7両配置され、「いすみ200型」と命名され活躍してきた。

だが、いすみ200型も誕生から20年以上が経過し、そろそろ置き換え時期となってきた。そして置き換え用として最初に投入されたのが「いすみ300型」だ。これは新潟トランシス製の18m級の軽快気動車で、標準車体を採用することでコストの軽減化が図れるという利点が特徴だ。

だが、鳥塚社長はこのやり方というか考え方に納得がいかなかったのだろう。「いすみ300型」は2両が投入され、続いて3両目も投入される予定だったが、ここで鳥塚社長は「次の車両は国鉄型気動車と調和のとれるデザインの車両を」と新潟トランシス側に注文を付けたのだ。最初は「無理、無理!」と首を縦に振らなかった新潟トランシス側であるが研究を重ねて鳥塚社長のリクエストに応えられる車両が作れる目途が立った。そして製作されたのが「いすみ350型」である。この経緯の更なる詳細についてはいすみ鉄道のホームページ内にある鳥塚社長のブログにびっしりと記されているので(7両の気動車を5両の気動車で置き換えた根拠も書かれていますよ)、そちらも読んでいただくとして、妻断面と窓形状それに塗装を除けば、「キハ52とうり二つ」といっても過言ではないこの車両の出現に私の身体は全身に電気が走るような思いをしたのだ。







さて、撮り鉄も佳境に入り、いよいよ先ほど撮りこぼしてしまったキハ52+28の“観光急行”が小谷松付近を通過する時刻も近づいてきた。その様子は次の章で・・・。



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いすみ鉄道撮り鉄日記(3)~撮り鉄本番編<その1> [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

小湊鉄道キハ200型と桜のコラボレーションを撮り終えた後は、折り返しまでのわずかな時間でキハ52とキハ28をいろいろな角度から撮ってみることにする。まずはキハ52から。


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(上総中野駅で折り返し待ちのキハ52型)



キハ52型は、近郊型気動車として大量に増備されたキハ20型と同車体の車両で急こう配が多い山岳路線での運行を可能とするために作られており、見た目こそキハ20型とまったく同じなのだが、足回りに決定的な違いがあり、キハ20型がディーゼルエンジン1台搭載なのに対し、キハ52型は2台搭載となっている。続いてはキハ28型を。


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(上総中野駅で折り返し待ちのキハ28型。右側の手の込んだデザインのベンダーにも注目だ)



キハ28型は準急型気動車として製造されたキハ26型の後継型である。こちらも同型車体でエンジンの搭載台数の違いによりキハ58型という兄弟形式がいた(キハ28型がディーゼルエンジン1台搭載、キハ58型が2台搭載だ)。キハ28型同士の連結運転も可能ではあるが、2両編成でエンジン2台では心細いので、通常は2台搭載のキハ58とペアを組んで運転されることが多かった。ちなみにいすみ鉄道ではキハ52とペアを組んでいるが、どちらも50年くらい前の製造当初よりそのようなことも想定されており、国鉄時代には長野県の小海線や飯山線、岩手県の花輪線などでこのようなペアを見ることができた。というわけで、いすみ鉄道入りに当たってはどちらも特別大きな改造もすることなく入線している。



さて、城見ヶ丘駅付近での倒木の影響で若干遅れて上総中野に到着した下り101D“急行1号”だが、折り返しは上り102D普通・大多喜行きとなる。所定では10時45分発だが、この日に限り5分遅れの10時50分発となった。終点の大多喜駅で、上り58D普通・大原行きと接続するのだが、接続時間が若干短くなるだけで、その後の列車ダイヤに影響はないことが時刻表から判明する。そして10時50分に上総中野を出発。どの駅も5分遅れでの到着となる。大多喜には11時12分頃に到着した。


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(大多喜駅に到着した上り普通102D)



大多喜では、上り普通58D・大原行きと接続する。所定時刻でいけば接続時間は14分あるのだが、この日は102Dが5分遅れだったので、接続時間は9分に縮められる。それでも乗り継ぎには十分ゆとりがある時間だ。上り普通58D・大原ゆきはいすみ鉄道の最新鋭車両による2両編成だった。


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(いすみ350型<=手前>といすみ300型の2両編成による上り普通58D・大原ゆき)

11時21分定刻に上り普通58Dが大原に向けて出発していった。その後、上り普通102D列車は一度、城見ヶ丘方に引き上げ、下りホームに入線し直す。列車番号は下り普通103Dに変わる。


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(下りホームに入線し直し、発車を待つ下り普通103D・上総中野行き)



下り普通・103Dは上総中野に到着後、上り急行104D“急行2号”として折り返してくる。ところが、この先で私はとんでもない失態を犯してしまい・・・(><;)。続きは次回記事で。念のためのお断りですが、法律に抵触するような失態ではありませんので・・・。




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いすみ鉄道撮り鉄日記(2)~急行1号で上総中野へ!編 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

さて、キハ52の単行からキハ28との2両連結にパワーアップしたいすみ鉄道の“観光急行”だが、大原駅では思わぬ珍現象をみることから始まった。

もともとはJR木原線という廃止の危機にさらされていたローカル線を第三セクターで引き継ぐことで開業したいすみ鉄道は、三セク転換時にホームを新たに作ったのだが、そのサイズは15m級のレールバス・いすみ200型が2両連結でいっぱいになるくらいのこじんまりとしたホームで、まさか20m車の運転が復活するとは考えていなかったのだろう。キハ52+28の2両編成ではホームに編成全部が入ることができず、上総中野方のキハ52は半分も入れない状態。それではどうやって客扱いをするのだろうか。答えは非常コックを使用して、キハ28のみを開扉状態として客扱いをするのだ。都市鉄道では考えられない光景が見られるのもローカル線ならではといったところだろう。私はキハ28から乗り込み、全座席自由席のキハ52の方に入る。キハ28は一部が指定席となっている。そして車内に入ると目に入ったものは・・・!?

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(キハ52の吊り広告。なんと国鉄の文字が・・・)



キハ52は近郊型気動車に分類されるので、キハ28とは異なり、天井に吊り広告のスペースがある。鳥塚社長はそれを利用し、なんとご自身のコレクションである、国鉄時代の吊り広告を掲出しているのだ。普通に考えればここには直近に発売される週刊誌の見出し広告などが掲出されるところだが、この列車にその理論は通用しない。「昭和の汽車旅の再現」がコンセプトなので、こういう目につくところにも昭和時代の雰囲気を出さないとダメなのだ。手作りのヘッドマークや、この吊り広告に鳥塚社長の「拘り」の深さが読み取れてくる。



さて、大原を出た列車は10分ほどで最初の停車駅・上総東に到着する。1分弱で客扱いを終了させ、出発。次の停車駅は国吉だ。国吉駅には9時37分ごろに到着。ここで上り列車と交換するため、9分ほど停車する。


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(国吉駅で交換待ちのキハ52+28の“急行1号”)


上り56D列車と交換し、9時46分に国吉駅を出発。次の停車駅は城見ヶ丘駅だが、この間でちょっとしたアクシデントが発生する。まず上総中川駅を通過したところで緊急停車する。昨日の強風の影響なのか倒木が発見され、緊急停車したのだ。幸いにも機関士の発見が早かったため、車両が倒木に乗り上げるということもなかった。2号車のキハ28にいた鳥塚社長と男性社員それに機関士の3人で倒木を線路わきによけて、5分ほどの遅れで運転が再開された。しかし、運転が再開されたと思ったら再度緊急停車。今度は何事かと思うと、城見ヶ丘駅手前の踏切で遮断機が下りっぱなしになっていることに苛立った沿線住民が無理やり踏切を渡ろうとしたのだ。急いでいたのかも知れないがこれは絶対に危険!決して真似をしないでほしい。

こうして大幅に遅れてしまった“急行1号”は城見ヶ丘駅に停車したものの、客扱いは30秒足らず。もっとも降りる客もいなければ乗る客もいなかったからだ。

こうして大多喜駅には7分ほどの遅れをもって到着。すぐに出発する。“急行”としての運転区間は大多喜までで、ここから先、終点・上総中野までは普通列車となる。大多喜まで一部指定席であったキハ28は大多喜からは全座席が自由席となる。小谷松、東総元・・・と停車していき、10時30分ごろに終点・上総中野に到着する。


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(上総中野駅。クラシックな木造駅舎に国鉄カラーのディーゼルカー。まさに昭和時代そのものを思い起こさせる光景だ。 ※プライバシーに配慮して画像の一部を加工しています。ご了承ください



上総中野駅では早速この車両も撮影する。


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(小湊鉄道キハ200型。いすみ鉄道101Dからの乗り換え客を拾って出発する)



上総中野駅では、小湊線の方ではあるが半ばあきらめかけていた桜が綺麗に咲いていたので、迷うことなく小湊鉄道のキハ200型とのコラボレーションを試みた。


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(桜の木を横目に五井に向かう小湊鉄道キハ200型。今年の桜とのコラボレーションはこれで決まりだ)


自分で言うのも何だが、ここまでバランスよく撮れるとは・・・!これで一気に弾みが付き、撮り鉄の本番がいよいよ始まる。


いすみ鉄道撮り鉄日記(1)~急行1号、お出迎え編 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

毎年、この時期になると桜と鉄道のコラボレーションを撮る計画を立てて実行するのが私の楽しみの一つ。



昨年はターゲットがなかなか決められず、ギリギリのところで我が地元を走る西武線の写真を撮ってアップした。そういう苦い昨年の経験から、今年は早い段階からアンテナを張って決めることにした。



特に意識してアンテナを張っていたわけではないのだが、2月の中旬、毎月購読している「鉄道ダイヤ情報」をぱらぱらとめくると、いすみ鉄道の新車の情報が出ており、それを見た瞬間、全身に電気が走るような思いをした。それがこの車両だ。


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(大多喜駅に停車中のいすみ鉄道の最新型車両・いすみ350型)



その車両はいすみ鉄道の最新型車両である「いすみ350型」。その登場の経緯については後述するとして、いすみ鉄道といえば鳥塚亮社長の肝いりプロジェクトである「国鉄型ディーゼルカーによる昭和の汽車旅の再現」ですっかりレールマニアの間では話題になっていることでも有名だ。JR西日本から購入したキハ52型による観光急行を大原~大多喜間で一昨年から運転を始めているが、今年からはもう1両、同じくJR西日本から購入したキハ28型というキハ52型にとっては最高の相棒を迎えたことにより、輸送力を中心にパワーアップされ、その力を活かして運転区間も大原から上総中野までの全区間に拡大されることになった。



というわけで、この春の桜と鉄道のコラボレーションのターゲットはいすみ鉄道で決定。あとは日取りを決めるだけ。例年の千葉県をはじめとする首都圏の桜は3月下旬から4月中旬まで楽しめるものだが、今年はどういうわけか、3月中旬に東京で開花宣言があり、そこから2~3日で首都圏のほぼ全域で開花宣言があり、3月の終わりを待つことなく、満開となってしまった[ふらふら]



予定では4月の最初の日曜日に行く計画をたてていたが、このとおり例年よりも大幅に早く桜が満開となってしまい、予定通りの日程でいけば桜はほとんど散って葉桜になっていることは確実だ。でもたとえ桜の花がなくとも、いすみ鉄道にはそれを補うだけの魅力がある。というわけで、あきらめずに予定どおり4月の最初の日曜日に行くことに決めた。

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(きょう一日お世話になります!)



4月7日、東京から外房特急“わかしお1号”で、大原に向かう。ちょうど前日は台風並みの猛烈な強風が吹き荒れ、この日もこのわかしお号は通常運転するかそれとも運休か非常に心配になったが、東京駅に近づくにつれ、その心配は次第に薄らいでいった。房総特急には車内販売がないので車内で食べるためのサンドイッチを購入し、乗り場である京葉線ホームに向かう。およそ1時間30分で大原に到着。風は強かったが、雨は上がっており、まずはホッとした。

一度、JRの改札を出て、いすみ鉄道の乗り場に向かう。すると、すぐに折り返し下り普通57D列車となる上り普通54D列車が進入する。


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(下り57D列車として出発待ちのいすみ200型。いすみ鉄道誕生時から活躍を続けている最古参形式だ)



この下り57D列車が出発する直前に今回のお目当てであるキハ52+キハ28の2両編成が上り快速100D列車として入線する。折り返しは下り101D“急行1号”だ。この日は日曜日だったので、ヘッドマークはどちらも「そと房」であった(ちなみに、土曜日だとキハ52のほうのヘッドマークが“夷隅”<=いすみ>となる)。まずは撮影地を選定するため上総中野までの全区間をこの列車に乗ることにする。


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(キハ52を正面から。ヘッドマークは鳥塚社長の手作りだ)

東急東横線撮り鉄日記(3) [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

都立大学駅で撮影を終えた後は一度改札出入りして、横浜方面行きの電車に乗り込む。

一台見送り、やってきたのはみなとみらい線Y500系513編成による各駅停車だった。


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(東急5050系とすれ違うみなとみらい線Y500系)



みなとみらい線Y500系は、東横線用5050系をベースとした車両だが、5050系が種別表示も含めフルカラーLEDになっているのに対し、こちらは田園都市線用の基本番台(5000系)に準じ、種別表示だけが巻き取り式となっている。

ここで気になるのが、この種別表示が東武・西武乗り入れ対応に改造されているのかどうかだ。とりわけ、西武線池袋線への直通列車は「各停」「快速」「準急」「快速急行」と多岐にわたり、それに対応できているのか?また東武東上線への直通列車も副都心線内急行(通勤急行)運転、東上線内は各駅停車が基本だが、東武の場合は種別呼称が「各停」ではなく「普通」だ。

ちなみに半蔵門線が押上まで延伸され、東武伊勢崎線と直通運転を開始した際にも東急の車両はどういう対応になるのか気になったものだが、結局のところは8500系が乗り入れ開始までにすべてLEDに換装され、「普通」の表示ができるようになっていた(とはいえ、東武伊勢崎線線直通電車は原則として東武線内は急行運転なので、「普通」として運転される機会は少ないが・・・)。

そんなことを考えながら、自由が丘、田園調布、多摩川、新丸子、武蔵小杉、元住吉、日吉・・・と過ぎていき、降り立ったのはこの駅だ。


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(綱島駅を高速で通過する9000系“東横特急”元町・中華街ゆき)


今回は日比谷線直通電車の最後の勇姿もしっかりとカメラに収めるという目的もあったので撮影は菊名までの各駅のどこかというところまでは漠然と決めていた。

以前、自宅のPCでYouTubeにアップされていた東横線前面展望の映像を見ながら、

①田園調布の地下に潜る手前にある踏切

②多摩川橋梁

③綱島駅か大倉山駅

のいずれかで撮ろうと考えていたのだが、急行が止まり、ホーム幅もあり安全、横浜方のカーブ・・・この3点が決め手となり、綱島駅での撮影に決めた。まずは日比谷線直通電車に狙いを定める。


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(綱島駅に進入する東京メトロ03系・日比谷線直通北千住ゆき)



東京メトロ日比谷線との直通運転は3月15日をもって終了するが、16日以降も日比谷線用・03系はある事情で東横線内を走る機会がある。ただしこの綱島駅に姿を見せることはないと思うが・・・。

そのある事情とは、03系が検査に入る時だ。ご存知の方も多いと思うが、東京メトロでは数年前に組織全体の合理化計画の一環として、日比谷線の千住工場を廃止してその機能を半蔵門線の鷺沼工場へ移転統合させた。その結果、日比谷線内には検査をするための工場がなくなり、検査をするためには中目黒から東横線~目黒線~大井町線~田園都市線を経由して鷺沼駅に隣接する鷺沼工場まで回送させる必要が発生するようになった。この回送は基本的に終電後の夜間に行われているようなので、今後は昼間でも見れる機会があるかどうかというところだろう。


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(綱島駅に到着した東京メトロ03系による菊名ゆき)



日比谷線直通電車はしばらくの間、03系が続き、東急1000系がなかなかやってこない。すこし焦りを感じたが、ここでその気持ちを前面に出すのはご法度中のご法度だ。その東急1000系を待っている間に、1000系のベースとなった形式のトップナンバーが上り急行としてやってきた。


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(綱島駅に進入する9000系9001Fによる急行 渋谷ゆき)


急行灯を力強く点灯させているその姿に「長い間、東横線ひとすじでお疲れさま!」と声を掛けたくなったと思うのは私だけだろうか?9001Fの今後はどうなるのだろうか?大井町線に転属して余生を送るのか?それとも車籍を抜かれて生誕の地である総合車両製作所(旧・東急車輌)で保存されるのか。一番いいのは、東武鉄道8000系8111編成のように車籍を抜かれても、動態保存という形で残してもらうパターンだろう。



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(この方向幕が見られるのもあと数日だ)



9001Fが去った後、下り線には田園都市線から転属してきた5118Fによる東横特急が通過した後、ようやく待望のこの電車が・・・。

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(綱島駅を通過する5050系ではない田園都市線からの転属車5000系による“東横特急”元町・中華街ゆき)



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(東急1000系による各停 菊名ゆき。れっきとした日比谷線からの直通電車だ)



このブログで昨年8月に「自由が丘撮り鉄日記」を3回にわたりアップし、その最後の章で日比谷線直通運転打ち切りについても掘り下げた。その際、直通運転終了後の車両の進路については、東京メトロ03系は余剰が発生し廃車が出る可能性が、東急1000系についても先の見通しはあまり明るくないことを記した。しかし、メトロ03系については余剰廃車が発生するという可能性は低くなったようだ。その理由は3月16日に副都心線と同時にダイヤが見直される日比谷線では、これまで東武動物公園までだった乗り入れ区間がわずかな区間ではあるが日光線にも入り、南栗橋まで延長されるとのこと。これにより余剰廃車が発生したとしても、その数は最小限にとどまるだろう。


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(菊名から折り返してきた東急1000系による日比谷線直通・北千住ゆき)



綱島から2駅先の菊名が終点なので、30分ほどで折り返してくる。東急1000系の今後はやはり明るいものではなさそうだ。現在1編成が何らかの改造工事で総合車両製作所に入場しており、改造後の姿が気になるところだ。どこかの地方私鉄にでも売却されるのだろうか。

最後に田園都市線から転属してきた5000系を1枚撮って、今回の撮り鉄行は終了とした。


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(車番の下二桁の“19”が田園都市線から転属してきた車両である証)



これまでは渋谷ゆきのみだった東横線の上り列車の行き先はバラエティーに富む。種別も「特急」「通勤特急」「急行」「各停」のほか、西武線向けに「快速急行」「準急」「快速」が、東武線向けに「普通」が新たに加わる。行先も「渋谷」のほかに「新宿三丁目」「池袋」「和光市」「志木」「川越市」「森林公園」「小竹向原」「石神井公園」「保谷」「清瀬」「所沢」「小手指」「飯能」の行き先が加わる。

でも、正直なところ、5050系の「川越市ゆき」や「飯能ゆき」はどうもピンとこないのが実感であると記し、今回の撮り鉄日記の締めくくりとしたいと思います。
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