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ブログをご覧のみなさまへ [ごあいさつ]

皆さん、こんばんは。大変ご無沙汰しております。





今年も残すところあと1日あまりとなりましたが、今夜はちょっと残念なお知らせをしなければなりません。

2011年より始めたこのブログですが、ここ数年、更新の停滞状態が続いてしまい、毎年「来年は必ず改善する」とお約束してまいりましたが、3年連続でそのお約束が果たせないことが確実となってしまいました。






6月ごろまでは比較的順調に更新できていたのですが、ちょうどそのころから色々と多忙を極めるようになり、更新が思うようにできなくなってしまいました。





さらにそのような状況に追い討ちをかけるかのように、椎間板ヘルニアを患ってしまい、撮り鉄自体思うように行けなくなってしまいました。





ブログのこと、どうしようかな…と結論が出せないまま、カレンダーはどんどんめくれていき、気が付いたら師走にまで来てしまいました(> ;<)。





そして、ようやく結論が出せました。今後もしばらくの間は、更新が見込めないので、ここで一度ブログを閉じたいと思います。また少し余裕が出てきたら始めたいと思います。
ブログはこの更新をもって一度ストップさせる予定ですが、Twittreは今後も続けていきますので、よろしくお願いいたします。





3年弱ではありましたが、お付き合いいただきありがとうございました。また逢える日まで…(;;)。

名古屋撮り鉄日記②~2014年5月の巻 [撮り鉄日記(JR首都圏以外)]

どうも、ご無沙汰しております。





いやあ、正直なところ、こんなに早くに名古屋を再訪することになるとは思ってもみませんでした。

きっかけは前回、2月に地下鉄鶴舞線3000系の最後の勇姿を撮るべく決行した撮り鉄旅行から帰ってきて、1週間ほど経ってのことまでにさかのぼります。


寝る前にTwitterを見ていたら、ちょっとびっくりのニュースが流れ込んできました。

「SNH48・宮澤佐江、SKE48・チームSリーダー兼任へ」

いやあ、これにはちょっと目を疑いました。でもこの時点ではすぐに「どーせ、また辞退するんだろうな・・・」と少しタカをくくっていました。ところが、翌日以降、TwitterのライバルともいえるLINEが発信する「LINE NEWS」で「宮澤佐江、SKE兼任、快諾の意向へ」と出ていたのです。まあ、ここまで書けばお解りになったかと思いますが、実は私、AKB48グループの中では彼女がイチオシなんです。常に元気でポジティブな性格には癒されてしまうのです。「第5回選抜総選挙」では10位にランクされたにもかかわらず「あらゆるリスクを覚悟して決意したことに専心したい」ということで上海一本(SNH48)でいくと宣言した彼女のことだから、そんなに簡単に心が揺らぐはずないだろうと思っていたのです。でもその間に彼女と同期生で互いを「心友」と呼び合う、大島優子が昨年の大晦日に卒業を宣言したのはまだ記憶に新しいところです。簡単に揺らぐことはないだろうと思っていた彼女にはこの卒業宣言が強烈なボディーブローになったのでしょうか。総選挙でのあの宣言を翻す形で兼任を引き受けることにしたのでしょう。

「裏切られた!」と失意を露わにしたファンも結構いたようですが、私はその逆で、彼女を応援したいという気持ちが一層強まりました。それが名古屋再訪へとつながったわけであります。そして5月下旬にそれを決行することになりました。


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(SKE48SHOP&CAFE内に鎮座する本物のスクールバス。中は厨房に改装されている)



今、思うとSKE48との兼任だから良かったのかもしれません。SKE48はすでに松井玲奈・松井珠理奈・須田亜香里といったビッグネームが中心となりグループを盛り上げている現状。そんな中で全くの外様である宮澤佐江ちゃんが受け入れられ、活躍できる余地があるのか?ファンとしては少し心配でしたが、それは全くの無用だったようです。


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(SKE48劇場の入り口。この日はあいにく休館日でした…>_<)



当初は「土日なら劇場はやっているだろう」という全く根拠のない感覚でいったのですが、劇場はあいにくの休館日でした。それでも併設されている「SKE48SHOP&CAFE」で秋葉原では体験できない寛ぎのひと時を過ごすことができたので、まずまずでした。

そんなわけで今回は撮り鉄旅行といいながら、どちらかというとSKE48にウェイトを置いた旅行だったので、撮り鉄の方は本当にごくわずかで前回、時間の都合で撮れなかったJRの車両だけに的を絞り撮ることにしました。期待されていた方々には申し訳ございません[あせあせ(飛び散る汗)] 。まずは全国的にも希少な存在となった「架線下DC」を。


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(名古屋駅で発車を待つキハ75形による、武豊線直通 “区間快速”)



「架線下DC」は特急形車両を中心にまだまだ見れるところがありますが、普通乗車券だけで乗れる一般型車両に限定するとそれはかなり限られてきます。このキハ75形による武豊線直通の“区間快速”はその一つです。名古屋駅からはこの他にも非電化の紀勢本線・参宮線に直通する“快速みえ”が同じくキハ75形で運転されています。


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(313系電車に瓜二つのディーゼルカー・キハ25形による武豊線直通 “区間快速)



この車両を見て313系か?と思われる方もいらっしゃることでしょう。正体はキハ25形というディーゼルカー。製造コストを下げるために車体を極力313系と同一にしている点が特徴で、313系との識別ポイントは、パンタグラフの有無はもちろんのことですが、その他ではおでこのヘッドライトの有無も識別ポイントとなります。
現在は武豊線直通と、紀勢線直通の2系統で見られる一般型車両による「架線下DC」ですが、武豊線は目下来春開業に向けて電化工事が進行中であり、電化後は313系に置き換えられることが発表されています。したがって、武豊線直通の架線下DCを見られるのは来年2月頃までということになります。つづいても「架線下DC」ですが、こちらはそのキング的な存在です。


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(名古屋駅に到着後、乗客をすべて降ろし、名古屋車両区へ回送出発待ちのキハ85形 “特急ワイドビューひだ”)



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(こちらも名古屋車両区へ回送出発待ちのキハ85形“特急ワイドビューひだ”)



キハ85形は輸送実態に合わせ、分割併合が容易にできるキハ82形の意匠と車内からの展望をもっと楽しみたいという対極する二つの需要に応えられるように、非貫通形パノラマ先頭車キロ85形(またはキハ85形0番台)と丸みをおびたごっついスタイルが特徴の貫通形先頭車キハ85形100番台という2種類の先頭車がありますが、私はどちらかというと、スマートな非貫通形よりもごっつい貫通型のキハ85形100番台の方が好きですね。丸みを強調しているデザインゆえに幌受けまでもが目立ってしまうスタイルには愛嬌を感じますね。つづいては電車を。JR東日本管内では衰退気味であるものの、こちらJR東海管内では中央西線を中心にまだまだ健闘中の211系から。


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(名古屋駅で発車を待つ211系5000番台による中央西線・高蔵寺行き普通列車)



名古屋地区における211系は国鉄末期にセミクロスシートの0番台が4両×2編成が配置されたところから始まります。そしてJR東海発足後は311系が登場するまで主力車両として量産が続けられました。ただし、JR東海になってから量産されたのはオールロングシート・トイレなしの近郊形というよりも通勤型にかなり近い5000番台のみの量産で、オリジナルのセミクロスシートを備えたのは国鉄末期に投入された0番台の4両×2本ということになります。そしてJR東海における211系の後継車はというと・・・


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(岐阜行き普通列車として発車を待つ311系)



311系は東海地区に新たに新設される“新快速”に投入する車両として1989年に登場しました。注目すべき点はJRの快速列車としては初めて最高速度120㎞/hで営業運転する車両として注目を集めました。また登場時はJR北海道の721系、JR西日本の221系、JR九州の811系とならび、次世代の近郊形車両として注目を集めた車両です。特急車両に遜色しない車内設備を持ちながら、普通乗車券だけで乗れるハイグレードな一般型車両として注目を集めました。ただ、制御装置がいずれも界磁添加励磁制御という現在では化石的といっても過言ではない制御装置であったためか、増備は長続きせず、JR東海では1999年に313系にシフトされました。


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(名古屋駅で発車を待つ新快速・米原行き313系電車) ※プライバシー保護のため、画像を一部加工してあります。



313系は今やJR東海の標準車両という位置づけられる車両です。ポジショニングやプロフィールはJR東日本のE231系と同等です。登場時はオール転換クロスシート車のみでしたが、身延線・御殿場線・飯田線用に先代車両・115系に準じたボックス式固定クロスシートとしたセミクロス車3000番台・3100番台も増備されました。ここまではなんとなく容認できるところなのですが、そのあとに登場した2000番台ははっきり言って別形式を名乗ってほしいくらいです。313系といえばやはりクロスシートが「売り」であり、静岡都市圏での限定運用とはいえ、オールロングシート車は容認し難いです。武豊線用として新造されるグループには2000番台ではないことを願うばかりです。


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(豊橋行き・新快速として発車を待つ313系5000番台)



とまあ、今回の名古屋撮り鉄日記はわずか2時間ほどで終わってしまいましたが、前回撮れなかったJR車両に的を絞ることで前回とはまた趣の異なるシーンを展開させることができました。

夏休み明けに再び行く計画を立てています。もちろん今度はSKE48劇場で公演がある日に・・・。最後にちょっとした情報を。SKE48の松井玲奈って鉄道ファンなんですよ。これウィキペディアで調べればわかることなのですが・・・。特に新幹線に造詣が深いようです。これは自分も初めて知った時に「へぇ~!」と思わず声を上げてしまいました。
それでは、また。

代田橋撮り鉄日記 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

皆さん、こんにちは。





先月は更新が出来なくて申し訳ございませんでした(>_<;)。


今日アップするのは先月末、GW直前の撮り鉄日記です。舞台は新宿から京王線で10分ほどの小さなこの駅です。

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(京王線・代田橋駅) ※プライバシー配慮のため、画像を一部加工しております。


代田橋駅です。京王線といえば、一昨年に巨大立体交差プロジェクトである「調布駅周辺地下化連続立体交差化事業」の工事が終わり、国領・布田・調布の各駅が地下駅化されたばかりですが、こんどは代田橋駅の笹塚駅方から仙川駅手前までの渋谷区と世田谷区内を高架化により連続立体交差する工事が始まるとのことです。これにより、代田橋・明大前・下高井戸・桜上水・上北沢・芦花公園・千歳烏山の各駅が高架駅化されるとのことです(すでに高架駅化されている八幡山駅はそのまま)。高架化されるのは10年くらい先のことですが、今後、仮線敷設などにより現状を維持できるのはあと1~2年というところでしょう。というわけで、まもなく見納めになる代田橋駅から千歳烏山駅までの平坦区間をいまのうちに記録として撮っておこうと思った次第です。


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(代田橋駅を通過する8000系特急・新宿行き。高架化されるとどんな光景になるのか!?)



次の写真は代田橋駅舎脇の踏切からとった1枚です。


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(代田橋駅を高速で通過する7000系特急・京王八王子行き)



高架化後の代田橋駅は島式1面2線になる予定なので、このアングルで撮れるのはあとわずかとみていいでしょう。

ところで、7000系は近年のリニューアル工事で足回りは全車両が界磁チョッパからVVVFインバータに換装されましたが、行先表示器は大半がフルカラーLEDとなりましたが、一部にまだ幕式のものが存在しており、登場時からの7000系を見ている私としてはちょっとホッとします。LEDは確かに見易いし、遠くからの識別もできるスグレモノですが、幕式には幕式ならではの温かみがあるのもこれまた事実です。この写真を撮ったあとは代田橋駅から少し離れたところで撮影してみました。


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(東京都水道局の近くから撮影した7000系特急・京王八王子行き)



この写真は、代田橋駅近くにある「東京都水道局・和田堀給水所」の近くから撮影したもので、写真後方が代田橋駅となります。次の写真はほぼ同じ地点で明大前駅側から撮ってみました。


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(明大前駅から、終点・新宿駅に向けて疾走する8000系特急)



8000系も登場から20年が経過し、登場時は休日ダイヤ(シーズンダイヤ)を中心に特急の一部を京王八王子行き・高尾山口行きの二方向列車として運転するため、6000系にあわせ、分割・併合が可能な6+4の10両編成として製造されましたが(6000系は5+3の8両編成)、シーズンダイヤが廃止され、「準特急」が創設されてからは京王八王子行き・高尾山口行きともにそれぞれ単独の列車として運転されることが多くなり、準特急が大幅に縮小された現状のダイヤでは二方向列車の設定は計画していないためか、一部の編成から10両固定編成化の工事が始まりました(中間に連結されていた先頭車を完全な中間車に改造)。代田橋~仙川間の高架化工事が完了するころには10両編成の全編成が10両固定編成になっていることと思います。トリはいまや7000系や8000系よりも露出機会の多いこの形式で…。


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(明大前駅から代田橋駅に向かう、9000系トップナンバー編成による各停・新宿行き)



9000系は6000系の置き換え形式として登場しただけのこともあり、露出頻度は京王線でナンバーワンとも言えるでしょう。9000系には都営新宿線に乗り入れ可能なタイプと乗り入れ不可能なタイプの2タイプが存在しており、写真の9701Fは地下鉄乗り入れ不可能タイプです。両数的には乗り入れ可能タイプの方が圧倒的に多く、地下鉄乗り入れ運用の他にも10両編成の運用であれば、地上線運用も担当しています。


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(明大前駅から笹塚駅に向かう9000系・区間急行新線新宿行き)



「区間急行・新線新宿行き」とみてしまうと、いかにも新線新宿駅止まりの列車かと思いますが、実態は新線新宿からは都営新宿線の急行として引き続き本八幡駅まで運転を継続します。つまり京王線内の行き先と都営新宿線の行き先を新線新宿駅で切り替えることで別々に表示しているわけなのですが、それは内部向けにわかり易くしているだけで、乗客側からすると紛らわしいことこの上ありません。まして修学旅行などで、東京に不慣れな人が見たらどうなるか?そのぐらいは考えてほしいものです。


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(明大前駅に先行列車が停車中のため、止むを得ず停車する9000系。高架化後もこんな光景が続くのだろうか?)



これで今回の撮り鉄は終了。次の撮り鉄は今月末に予定しております。首都圏から離れます。
前々回の「名古屋撮り鉄日記」の最後の方に「もしかしたら近いうちにまた名古屋に行くことになるかも・・・」と記しましたが、それが実現するようです。

それでは、またその時まで。

(撮影地付近の地図のURL)
https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%BB%A3%E7%94%B0%E6%A9%8B%E9%A7%85/@35.6700347,139.6590475,17z/data=!4m2!3m1!1s0x6018f3056584d65f:0xaa8dfed0ff69b3bb

屏風浦撮り鉄日記 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

どうも、こんにちは!(^o^)/

今回は京浜急行の撮り鉄日記をアップしたいと思います。



京浜急行はこのブログでは一昨年の暮れ、京急蒲田付近の完全高架化の際に一度アップしていますが、今回は私にとっての撮り鉄の原点となっている地でもあり、定番撮影ポイントである屏風浦駅上りホームからの写真をご紹介いたします。


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(屏風浦駅を高速で通過する1500形1700番台車による快速特急)



いまや都営浅草線に乗り入れる1500形も最初からVVVF制御で製造された1700番台のみ。寂しい限りです。それだけに昨年の土砂に乗り上げ事故で1編成が廃車になってしまったのは本当に残念です。

ところで、私が、この撮影ポイントと初めて出会ったのは、今から35年くらい前。当時小学校低学年であった私は、母の知人のところによく連れて行かれ、その帰りに母におねだりして京浜急行に乗せてもらったのがきっかけです。当時の京浜急行はまだロングレールが本格的に採用されておらず、おまけに現在のように列車接近のアナウンスやブザーなどはなかったのですが、「チュチュン、チュン、チュン」という感じでレールから接近してくる電車の音が聞こえてきたので、それで電車の接近がすぐにわかりました。初代1000形の非冷房車の普通・浦賀行きが来て、客扱いを終え出発すると直後に初代1000形の特急または2代目600形の快速特急が通過していきました。その光景はとても迫力があり、30年以上経った今でもなんとなく脳裏に焼き付いているくらいです。そしていつか自分でカメラを手にしたら、必ずここで撮ってみるぞ!と思わせてくれた地なのです。ちなみに「チュチュン、チュン、チュン」の音の正体は電車がジョイント部分(=継ぎ目部分)を通過する際、自然に発生する車輪とレールの摩擦によるものでした。ロングレールになり、ジョイントが無くなった現在では聞くことが出来ない音です。


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(屏風浦駅を高速で通過する、2代目1000形による、エアポート急行・新逗子行き)



いまや、名実ともに京浜急行の主力車両となった2代目1000形。快速特急から普通まで幅広くこなします。2代目1000形といえば、後述する2100形と同様のドレミファ・インバータの起動音ですが、あの音を作ったのは外国のメーカーで、メンテナンスに莫大な費用が掛かってしまうため、今ではほとんど(それとも全車?)が日本製のものに取り換えられてしまい、ドレミファ音で出発する光景はほぼ過去のものになりつつあります。


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(屏風浦駅を高速で通過する2代目1000形ステンレス車による、快特・三崎口行き)



2代目1000形は途中から車体がアルミ車体からステンレス車体となりました。コスト削減の観点では良いことですが、いつ見ても真っ先に思うのはこのステンレス車のカラーリングです。京急といえば、真っ赤な車体に窓周りもしくは窓下に白帯というスタイルが定番でしたが、このステンレス車は見事なまでにその定番をぶち壊してくれました(>_<#)。完全に塗装してくれとまでは言いませんが、せめて東京メトロ銀座線用1000形の技術を見習って、フルラッピングで銀色の地肌部分は隠してほしいです。たぶんこのカラーリングには大の京急通であり、“ロングおじさん”のニックネームでフリーアナウンサーとしても有名であった故・吉村光夫氏も草場の陰で泣いているのではないでしょうか・・・。


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(屏風浦駅に停車中の1500形普通・浦賀行き)



1500形は初代1000形の後継車として都営浅草線乗り入れ用車両として登場しましたが、“ロングおじさん”こと吉村光夫氏は「1500形は現代の車だが明日の車ではない」とご自身の著書で厳しく批評されています。即ち、初代1000形の後継車としては認められるが、未来の京浜急行を支えるには物足りない車両だ・・・と私は解釈しています。その解釈が正しいのかどうか、2代目1000形が登場すると、早々と都営浅草線乗り入れ運用からは外れていき、8連でA快特(品川始発の快速特急)、6連で普通を中心に時折D急行(品川または京急川崎発着の南行方面の急行)に充当されていくようになりました。そして、京急蒲田付近の高架化工事が竣工し梅屋敷駅が6連対応ホームに変わったのを契機に8連も編成がバラされ6連化が一気に加速しました。そして吉村光夫氏のご指摘に呼応するかの如く、界磁チョッパ制御はVVVFインバータ制御に換装されていきました。吉村光夫氏のご指摘は正しかったということですかね・・・。


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(屏風浦駅を通過する1500形1600番台によるエアポート急行・新逗子行き)



エアポート急行は新逗子・京急久里浜方面から羽田空港に直行する急行列車です。京急本線は一時期、日中の快速特急を12両編成化し、京急川崎発のD急行新逗子行きは、品川発としたうえで、泉岳寺方面からやってくる快速特急に併結することで、快速特急に格上げされました。しかし、逗子線の利用者数に対し4両編成というのは需給的にマッチしていなかったようで、京急蒲田駅構内に短絡線を設置することで、横浜方面からの直通運転を可能とさせることによって登場したものです。2000形の8連が専属的に充当されることで、これにより逗子線の輸送力改善が図られました。趣味的観点でみるとD急行の復活は嬉しい反面、その停車駅の多さには理解に苦しむところがあります。とりわけなぜに能見台・弘明寺・井土ヶ谷に停車し、かつて停車していた京急富岡と黄金町を通過するのかが謎です(JRの駅に隣接している杉田と仲木戸の停車はある程度理解できます)。エアポート急行の今後の課題は停車駅をもう少し絞り込むことでしょう。そしてこの日のエアポート急行にはちょっとした珍客がやってきました。


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(都営地下鉄5300形によるエアポート急行・新逗子行き)



これは定期運用なのでしょうか?それとも代走なのでしょうか?気になるところです。続いて、エアポート急行の主と普通列車の主に登場していただきましょう。


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(屏風浦駅を高速で通過する2000形による、エアポート急行・金沢文庫行き)



まずは、エアポート急行の主である2000形。言わずと知れた2代目快速特急専用車両であり、京急で初めて両開きドアを採用した形式でもあります。2100形の登場で3扉化されてしまったのは少々残念なところですが、エアポート急行の主として頑張っているので良しとしましょう。エアポート急行は2000形が中心的に運用され、それだけでは回しきれない分を2代目1000形等でフォローしています。2000形も登場から今年で30年。まだまだ現役で頑張れる体力はありそうですが、老朽化は随所で目立ち始めており、初期の車両から廃車が進んでいるとのこと。写真の2011Fも今度の検査期限切れで廃車になるのはほぼ確実です。というのは京急では廃車が予定されているされている車両については特別な塗装を施した上で、次の検査期限がきたらそのまま廃車というジンクスみたいなものがあるからです。その根拠としてかつて、初代1000形の4連×2編成をそれぞれ大師電鉄風の茶色一色と湘南電鉄風の赤と黄色のツートンカラーに復元しましたが、どちらも検査期限がきたところで、延命工事はせず、そのまま廃車という前例があるからです。この2011Fも次の検査期限切れで廃車にすることを前提で、登場時のカラーリングである赤い車体に窓周り白色というパターンに復元させたのではないでしょうか。続いては普通列車の主を・・・。


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(屏風浦駅に進入する800形 普通・浦賀行き)



800形は昭和53年に登場した、都営浅草線乗り入れを意識しない社線内用車両として登場しました。3連で普通、6連でD急行を担当できるように設計されました。そのため、801F~810Fまでは3両固定編成で登場しました(811F~827Fまでは6両固定編成で登場)。しかし、800形が登場したころ、都内にある梅屋敷駅のホームが4両分しかない上にホーム両端を踏切に挟まれていたため、ホームを延伸することが出来ない状態でした。このため、普通列車の6連化が思うようにできず、登場当時800形が普通列車に充当されたのは、朝夕ラッシュ時に限られていました。日中は京急川崎~新逗子間のD急行に専ら充当されていました。また前述のとおり、3連で登場した801F~810Fはローカル線時代の空港線の普通列車として活躍していました。

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(屏風浦駅を後に、上大岡駅に向かう、800形 普通・品川行き)



登場から36年あまり。現在では3両固定編成はなくなり、空港線はローカル線から幹線に昇格され、さらにそこへ追い打ちをかけるように新駅として開業した羽田空港国際線ターミナル駅には3扉車対応のホームドアが設置されたことにより、800形は空港線への入線が不可能となってしまいました。当然のことですが、老朽化は2000形以上に目立っており、いつ引退の時期を迎えるのか気が気でなりません・・・。最後は花形車両で締めくくりましょう。


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(屏風浦駅を高速で通過する2100形快速特急)



2100形。京急の3代目快速特急専用車両として平成10年に登場。車体は日本製だが、電機品はドイツ・シーメンス社製で、2代目1000形のところでも少し触れた、ドレミファ音を奏でるVVVFインバータの音はこのシーメンス社の技術によるものです。2000形まで継承された固定クロスシートの採用をやめ、転換クロスシートとしましたが、座席の向きは常に進行方向と同一になるように乗務員室で操作するように設計されており、乗客の任意で座席の向きを変えることもできないので、実質的には固定クロスシートです。都営浅草線・京成線乗り入れにも対応出来るように設計されましたが、都営浅草線には当時の東京都知事の意向で乗り入れが叶いませんでした。





こうして1時間半ほどですが、京急の車両を撮りました。都営5300形のエアポート急行は予想外の収穫でした。帰りは屏風浦から横浜まで800形の各駅停車に乗車し、横浜からは東横線~副都心線~東武東上線直通の特急川越市行きで帰路の途に就きました。その道中に思ったことはTwitterにてツイートしていますので、併せてご参照いただければと・・・思います。





3月も残すところ、あと1週間ほど。次の撮り鉄は桜との絡みを予定しています。昨年は開花が予想以上に早かったため、上手くいきませんでしたが、今年はどうにか上手くいきそうな予感が・・・。次の更新は4月の中旬ごろになると思いますが、それまでどうかご容赦いただければと思います。出来るだけ早く更新できるよう努力はしますが・・・。



それでは、また!

名古屋撮り鉄日記①~2014年2月の巻 [撮り鉄日記(首都圏以外私鉄)]

ご無沙汰しております。


まずは、本題に入る前に、先月の大雪で被害にあわれた方々に対し心よりお見舞いを申し上げます。





予想を上回る大雪から数日たった2月18日から19日にかけて、名古屋へ撮り鉄に行ってきました。

今回の撮り鉄の目的はこちら。

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(名鉄豊田線・日進駅で出発待ちの名古屋市営地下鉄3000系)



当日にTwitterでもお知らせしましたが、昨年から新型車両の投入で勇退が間近となった、名古屋市営地下鉄鶴舞線用3000系の最後の勇姿を撮るためです。

名古屋市営地下鉄3000系は、昭和52年、3号線(鶴舞線)用車両として登場しました。鶴舞線は名鉄犬山線の上小田井から伏見、八事を経て赤池に至る路線として計画、建設されました。上小田井では名鉄犬山線と、赤池では名鉄が新たに建設した「豊田新線」(現在は単純に豊田線と称されている)に乗り入れ、名鉄犬山線の新鵜沼から名鉄三河線の豊田市の間を地下鉄経由でダイレクトにつなぐ構想がありました。名古屋市営地下鉄では1号線(東山線)、2・4号線(名城線・名港線)ともに、当時の営団地下鉄(現・東京メトロ)銀座線とほぼ同様の規格が採用されており、集電方式も銀座線同様、第三軌から集電靴によって電気を取る方式(第三軌条方式)が採用されていました。しかし鶴舞線は上記のとおり名鉄と相互乗り入れをするため第三軌条方式は採用できず、名古屋市営地下鉄初の架線からパンタグラフを介して電気を取る架空電車線方式が採用されました。

今回はそんな経緯の下で活躍を続け、まもなく後継車両に道を譲り勇退する3000系電車と相互乗り入れ相手の名古屋鉄道の100系電車を悔いなく撮るための撮り鉄としました。

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(名鉄豊田線・日進駅に進入する名古屋市営地下鉄3000系 普通岩倉行き)


当日は東京駅7時00分発の東海道新幹線「のぞみ203号」で名古屋へ。N700系に初めて乗りました。私にとって最近の東海道新幹線には初代のぞみ用の300系車両の窮屈かつ乗り心地の悪さという、嫌なイメージが付きまとっており、今回のN700系もどんな乗り心地なのか正直不安でした。しかし乗ってみるとその不安はあっという間に払拭されました。あの300系の窮屈感や乗り心地の悪さが嘘のように改善されていたからです。

8時41分、時刻通りに名古屋駅に到着。駅構内のカフェでモーニングをしたあと、お隣の金山駅まで中央線で移動。中央線というと東京の人は東京都心と多摩地区を結ぶ路線を、大阪の人は地下鉄路線をイメージしがちだと思いますが、実は名古屋にも中央線は存在するのです。それも東京の中央線とちゃんとつながっているのです。ただし長野県の塩尻という駅で東京側と名古屋側に完全に分離されているので、中央線経由で東京と名古屋を結ぶ列車は1本もありません。名古屋駅を出発後約4分で金山駅に到着。ここで地下鉄名城線に乗り換えて鶴舞線に向かうことに。名古屋駅から地下鉄鶴舞線に行くには、名古屋駅から地下鉄東山線に乗り換えて伏見駅に出るか、中央線で鶴舞駅に出るのが最短のアクセス方法ですが、それでは面白味に欠ける。ならば少々時間がかかってもいいので、金山駅から名城線(新瑞橋駅先着の左回り)で八事駅に向かい、ここで鶴舞線に乗り換えて、豊田市まで撮影ポイントを見極めながら移動することにしました。まずは豊田市から三つ目の浄水駅にて。


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(名鉄豊田線・浄水駅に進入する、名鉄100系 普通上小田井行き)



名鉄からは6000系をベースとした地下鉄鶴舞線乗り入れ仕様車の100系が乗り入れ、三河線・豊田市駅から(法規上の豊田線は豊田市駅の一つ赤池寄りの梅坪駅が起点)から地下鉄鶴舞線を経て、犬山線・犬山駅(一部が回送で新鵜沼駅)まで運用されます。3000系の置き換えが決まった時は名鉄100系も終焉が近いのかと思ったのですが、こちらについては界磁添加励磁制御をVVVFインバータ制御に更新して延命されることになったようです。とはいえ、車体の痛みが結構目立っており、VVVFインバータ化するよりも、小牧線で活躍している300系のマイナーチェンジタイプに置き換えた方が良かったのでは…?と思いました。ここで撮影を終えた後は、黒笹駅に移動。日中の名鉄豊田線は赤池方面から三好ヶ丘駅と上豊田駅で上下列車が離合するようになっており、この2駅での撮影は避けるようにしました。慣れない土地での撮り鉄ではこういうリサーチも重要です。その黒笹駅では名鉄100系と今回の主役である名古屋市営地下鉄3000系と、その弟分にあたる3050系を撮影しました。まずは名鉄100系から。


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(黒笹駅に進入する名鉄100系 普通岩倉行き)



名鉄豊田線は名古屋市営地下鉄鶴舞線との相互乗り入れを前提に建設された路線で、こちらもTwitterに記したと思いますが、首都圏では東急田園都市線に運用形態がかなり似ており、一方で駅設備や旅客数は小田急多摩線に近いというイメージです。高速運転を実現させるため、踏切は一切なく、たとえ小さな歩道であっても立体交差となっています。写真の岩倉行きは名鉄豊田線~地下鉄鶴舞線~名鉄犬山線を走破する系統です。現在の地下鉄鶴舞線と名鉄犬山線・豊田線との直通運転の状態についてはここで説明すると長くなるので、割愛させていただきます。ウィキペディア等でご確認いただければと思います。続いては今回の主役でもある名古屋市営地下鉄の3000系を。


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(黒笹駅に進入する名古屋市営地下鉄3000系 普通上小田井行き)



ちょっとカメラを上向きにして構えたせいか、出来上がりがイマイチの状態。この日は豊田線への3000系の乗り入れがあまりなかったので、出来上がりをデジカメで確認した時は1本無駄にしてしまったな…という感じで少し落胆してしまいました。そして黒笹駅でのトリは3050系で。


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(黒笹駅に進入する名古屋市営地下鉄3050系 普通豊田市行き)



黒笹駅は豊田市方が直線区間で、赤池方がアウトカーブとなっているので、赤池方はあまりいい絵が描けないのでは?と思っていたのですが、そこは先入感を持ちやすい私の悪い癖で、それを断ち切る意味でも、敢えて赤池方でも構えてみました。結果は「挑戦してみて正解」でした。先入感というのは本当に恐ろしいものです。なお、この3050系は平成5年から平成6年にかけて、上小田井開業と名鉄犬山線乗り入れに伴う車両不足を補うため、桜通線6000系をベースに造られた車両です。ワンマン運転はしないので、運転台は向かって右側になり、正面の非常扉の位置も6000系とは逆になっています。

そして最後は黒笹駅からさらに一駅赤池方に移動して、米野木駅での撮影としました。米野木駅ではホームの赤池方で名古屋市営地下鉄側が3000系と3000系の後継車となるN3000系、そして名鉄100系を撮りました。まずは100系を撮影しながらピント合わせを。


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(米野木駅に進入する、名鉄100系 普通豊田市行き)



うん、だいたい1両目の車両が画面奥に位置している陸橋を完全に潜り抜けそうになるところでシャッターを押せば大丈夫かなと…。時刻はこの時点で15時00分を過ぎていたので、3000系を撮るのに、これ以上の失敗は許されません。そして名鉄100系の次にやってきたのはこの車両。


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(米野木駅に進入する、名古屋市営地下鉄N3000系による普通豊田市行き)



この車両こそが、地下鉄鶴舞線の次期エースとなるN3000系です。当初は3050系のマイナーチェンジ型で計画が進んでいましたが、2011年3月11日の東日本大震災で計画はいったん白紙となってしまいました。結局のところは3050系のマイナーチェンジ型では省電力があまり期待できないことからまったくの新型車両の開発・製作に至ることになりました。それがこのN3000系電車で、LEDを多用し省電力化を図っている点が特徴です。そして今回のトリは主役で締めくくることが出来ました。


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(米野木駅に進入する、名古屋市営地下鉄3000系による普通豊田市行き)



この列車を撮った時点で時刻は15時30分を過ぎていました。2月の後半とはいえ、まだ日の入りは早い方で、いい具合に西日が当たっていました。そしてヘッドライトはもちろんですが標識灯も力強さをさらに演出しており、この出来をデジカメで確認した時は思わずガッツポーズが出てしまいました。

そして、翌日は日進駅で冒頭の写真を撮りました。


今回の撮影で、3000系は悔いなく撮り納めることができました。そしてこれでもう名古屋に来る機会は当分ないだろうと思っていたのですが…。



帰京後、あるニュースでまたそう遠くないうちに名古屋に行くことになりそうだと確信しました。詳しくは明かせませんが(念のために記しておきますが、鉄分補給とはほぼ無縁のことです)、何のことかわかった方は6月頃、Twitter上で一緒に興奮しましょう!!



それでは、また!

約1か月半遅れの2014年更新初め・・・(_ _;) [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

2014年の「幸せな管理人さんの日記帳」の更新は何と約1か月半ほど遅れてのスタートとなってしまいました。申し訳ない限りです。





言い訳がましいようですが、1月の中ごろに撮り鉄の予定は立てていました。ところが、風邪をひいてしまい、これがなかなか治らなくて・・・、結局、今日の撮り鉄までお預けとなってしまったのです。





さて、そのきょうの撮り鉄ですが、当初の予定では横浜方面に行く予定でした。ところが不覚にも大寝坊をしてしまい、予定を大幅に変更することに・・・(><;)





目が覚めて時計を見たら9時30分。ま、この時間でも行けないことはないのですが、地元の多摩地区から横浜方面へは一番早いルート(中央線快速―湘南新宿ライン)を使っても1時間半はかかってしまうので、起きてご飯を食べたりするなどしていくと出発は約1時間後。つまり10時半ごろの出発になるのですが、こうすると横浜に着くのが、お昼ごろになってしまい、さらに日没前に帰宅することを考慮すると現地で撮り鉄できるのは1時間程度となってしまい、これでは往復するだけで終わりという感じになってしまうので、泣く泣く今回は比較的地元に近いところにしました。そして着いた先はここ。


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(京王多摩センター駅に進入する京王8000系 特急・橋本ゆき)


出来るだけ多くの形式が見られるところにしようと思い、北側の西武池袋線にするか南側の京王相模原線のどちらにするかちょっと迷いました。ところが、西武池袋線は朝方の東武東上線内のトラブルに巻き込まれてしまい、一部列車に運休や遅れが発生していることが携帯の運行情報で判明。これで行く先は南側の京王相模原線に決まりました。撮影ポイントは京王相模原線の中核駅で、全列車が停車する京王多摩センター駅の京王永山駅寄りにしました。





京王相模原線は相互乗り入れをしている都営新宿線乗り入れ対応型の9000系9030番台が主力で、これに7000系・8000系といった京王の主力でありながら、都営新宿線に乗り入れができない、いわゆる社線内専用形式と相互乗り入れの相手である都営新宿線から10-000形と10-300形が脇を固めています。相模原線に入ってこないのは、8000系の8両バージョンである8020番台と、9000系の都営地下鉄乗り入れ非対応型の9000系9000番台ぐらいです。

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(京王相模原線の基幹列車である都営新宿線直通・区間急行。写真は下りの橋本ゆき)


京王は約1年前の昨年2月にダイヤ改定を実施しており、改定前の相模原線の最上級列車は都営新宿線直通の「急行」でしたが、東日本大震災以降、事実上の廃止状態であった「特急」について停車駅の見直しをしたうえで復活させることに。運転系統も京王八王子系統と橋本系統の2系統体制となり、それまでの相模原線の最上級種別であった「急行」は京王線新宿発着・都営新宿線非乗り入れ列車としたうえで「特急」に格上げとなりました。そして、都営新宿線直通列車については調布~新線新宿間のみ急行運転となる「区間急行」に格下げとなってしまったのです。


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都営新宿線直通列車が「区間急行」に格下げとなってしまったのは残念なところですが、「特急」が復活したことで、社線内型の7000系・8000系の相模原線内での運用が増えたという楽しい一面も。アップした7000系は特急・橋本ゆきです。改定前の相模原線は「急行」・「快速」「各停」の3本立てで、そのほとんどに9000系9030番台が充当され(稀に9000番台も充当)、7000系・8000系は快速と各停の一部に充当されていたのみでしたが、改定後は「特急」・「区間急行」・「快速」の3本立てとなり、区間急行は都営新宿線に直通する関係で、早朝・深夜の京王線新宿発着分を除き、9000系9030番台が充当されますが、特急と快速については京王線新宿発着ということもあり、7000系と8000系が主に充当されます。そして区間急行にはこの車両も充当されています。


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(京王多摩センター駅に進入する東京都交通局10-300形2次車)



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(京王多摩センター駅に進入する東京都交通局10-300形3次車)



両者とも開業時から活躍してきた10-000形6次車までを置き換えるために投入された車両ですが、製造コストを抑えるため、JR東日本の車両がベースとなっています。2次車まではE231系800番台、3次車はE233系2000番台がベースとなっています。ベースというよりは下回りを中心にE231系・E233系そのもので、走行音は全く同一、台車だけ1,372㎜軌間対応になっているだけです。特に3次車は帯を取ればE233系2000番台そのものです。

と、まあこんな感じで2時間ほど京王多摩センター駅で撮影しました。10-000形が撮れなかったのが残念でしたがそれなりに収穫を感じることができた2時間でした。それでは最後に相模原線の主力車両である9000系9030番台の晴れ姿のアップで締めくくりたいと思います。

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(京王多摩センター駅に進入する、9000系9030番台による特急・橋本ゆき)



今回行けなかった横浜方面へは、来月、リベンジで必ず行きます!ただ、それまでにいやーなお知らせがアナウンスされなければいいのですが・・・。





本年も「幸せな管理人さんの日記帳」をよろしくお願い致しますm(_ _)m。

およそ4か月ぶりの更新は今年最後の更新です・・・。 [撮り鉄日記(JR首都圏)]

平素は「幸せな管理人さんの日記帳」をご覧いただき、誠にありがとうございます。


このたびは、更新が4か月近くにわたり滞ってしまい、更新を楽しみにされていた方々のご期待を大きく裏切る結果となり、誠に申し訳ございませんでした[あせあせ(飛び散る汗)]


撮り鉄自体は9月以降も月イチペースで敢行しておりました。しかしながら、発信の場がこれまではブログとLINEでおおむね平均化していたのが、5月頃から始めたTwitterの面白さに徐々にハマるにつれ、発信がTwitterに偏ってしまったのが大きな原因です。

来年はこのことを反省し、できるだけブログ・Twitter・LINEともに平均的に発信できるように考慮していくようにしますので、今回の怠慢はどうかお許しいただけますよう、お願い申し上げます。





さて、9月以降の私の撮り鉄行動ですが、年明け早々にE233系による置き換えが開始される横浜線を徹底的にマークしました。今回アップするのは直近で撮影した相原駅付近で撮影したものです。まずはこちらから。


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(相原駅に進入する八王子行き下り電車)



横浜線は八王子で作られた絹織物や繭糸を手早く横浜港に運ぶための路線として建設された経緯もあるせいか、曲線区間があまりないのが特徴です。また八王子から町田付近にかけては多摩丘陵に沿っているせいもあり、同じ中央線と東海道線を南北に結ぶ南武線よりも緑が多いのも特徴です。最初にアップしたのは橋本方ホーム先端から撮った下り電車ですが、朝の時間帯は正面に光が当たらないんですね・・・。気を取り直して、こんどは八王子方先端でカメラを構えてみます。


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(相原駅に進入する根岸線直通・大船行き上り電車)


なるほど・・・。朝の時間帯は上り電車が順光で撮影できるんですね。これはE233系の撮影を前に良い勉強になりました。ところで、横浜線にE233系が投入されるのは大いに結構なことですが、と同時に心配なことが一つ・・・。こちらの電車の行方はどうなるのでしょうか?


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(相原駅に進入する、相模線用205系500番台による八王子行き下り電車)


相模線用の205系500番台電車です。相模線も全線電化から20年が経過しており、電化開業時より活躍している205系500番台電車もさすがに老いが隠しにくい状態となってきました。そして何よりも気になるのが、橋本~八王子間で実施している直通運転の行く末です。横浜線のE233系は計画では2月から営業開始し、8月頃には置き換えが完了するとのこと。置き換えが完了すれば当然、スピードアップも行われるでしょう。もし仮にそうなった場合、現行の片乗り入れによる直通運転は継続されるのか、廃止されるのかは気になるところです。まあ一番良いのは相模線にも横浜線と同タイプのE233系(6000番台)を投入して継続してもらえることですが・・・。トリはこちらの写真で。


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(橋本駅から大カーブを切りながら相原駅に向かう205系電車)



前述のとおり、直線区間が比較的多い横浜線ですが、少ないながらもカーブポイントはあります。その中でもここは私が以前から注目していたポイントです。





ここまで、ちょっと急ぎ足で横浜線の撮り鉄の成果をアップしてまいりました。横浜線の205系にとって、この年末年始は最後となります。来年の今頃、横浜線を走るのはE233系だけになってしまっているのでしょうか。それとも205系500番台も引き続き、橋本~八王子間の直通運転を続けているのでしょうか。気になるところです。





本年も「幸せな管理人さんの日記帳2013」をご覧いただきありがとうございました。来年の鉄道業界も名車が次々と姿を消す予定という、ちょっと寂しい情報もキャッチしております。というわけで、来年はそういう車両にできるだけレンズを向けられるように計画を練っていく予定です。とりわけ、新年最初の撮り鉄は、私の撮り鉄の原点となった地を訪れたいと思っております。





では、また来年、「幸せな管理人さんの日記帳2014」までお待ちくださいませ。皆様、良いお年を・・・。



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妙蓮寺撮り鉄日記 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

久々の私鉄ネタです。





東急東横線は当初の予定では先月行く予定でいたのだが、夏風邪で体調を崩してしまった上に、不安定な天気が続いた影響で、この日までお預けとなってしまった・・・。





8月6日、朝6時半ごろに自宅を出発し、まずは拝島駅から西武拝島線に乗り、小川・東村山乗り換えで所沢に向かう。東横線の撮り鉄に行くのにどうして所沢?と思われてしまうだろうが、往路は副都心線経由で向かうと決めていたためだ。

所沢では新木場行きが続くので、元町・中華街行きを待たずに新木場行きに乗り、小竹向原で元町・中華街行きに乗り換えることにする。

所沢から西武4574 準急・新木場行きに乗車。車両はメトロ10000系で新鮮味がない。石神井公園までは各駅に停車し、石神井公園~練馬間だけが準急運転となる。小竹向原で和光市方面からやってくる元町・中華街行きに乗り換える。東武3617T~メトロ617Tとして東武9050系9152Fがやってきた。副都心線内は通勤急行である。日中の急行との停車駅の違いは氷川台~地下鉄成増の各駅に停車するか否かの違いで、通勤急行は氷川台~地下鉄成増の各駅に停車する。

渋谷からは東急817081・通勤特急として東横線・みなとみらい線を疾走する。通勤特急と日中の東横特急との停車駅の違いは東横線内は日吉に停車するか否かだけだ。小竹向原から約40分ほどで菊名に到着する。速い。菊名到着後は反対側の待避線で停車中の東急025071に乗り換え、一つとなりの妙蓮寺駅で下車。改札を出て、7~8分ほど歩き、今回の撮影ポイントである「妙蓮寺3号踏切」にむかう。

妙蓮寺3号踏切についてカメラを構えたところで、幸先よくこの電車がやってきた。


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(妙蓮寺3号踏切に差し掛かる、東急4110F“Shibuya Hikarie”号)



行き先が和光市となっていたので、2時間ほど粘れば、再び戻ってくるだろうと踏んでいたのだが、その予想はちょっと甘かったようだった。手持ちの東京時刻表で調べてみるとこの列車は東急056082~メトロ856K列車であったようだが、和光市到着後は和光検車区に入り昼寝となってしまったようだ。気を取り直し、撮影を続ける。行きで乗ってきた東武9050系は東急817082~メトロ817T~東武3817Tとして戻ってきた。


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(通勤特急・森林公園行きとして折り返して来た、東武9050系)



シャッターを切るのが良かったのか悪かったのか、50070系とのツーショットとなった。デジカメでこの画像を確認した瞬間、京成押上線内ですれ違う京浜急行の電車が思い浮かんだ。相互乗り入れによる産物というやつか。副都心線を軸とした相互直通運転で複数形式を所有するのはメトロと東武のみだ。

その50070系は東武3721T~メトロ721T~東急821081列車として元町・中華街まで行った後、折り返しは元町・中華街発・東急821092列車として渋谷までの東横線内のみの営業列車として帰ってきた。


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(東急821092として、東横線内のみを営業運転する東武50070系。東横線内は急行である)



ところで、これは現在発売中の鉄道ファン9月号の特集記事でも簡単に触れられているが、副都心線で活躍する車両が一同に集結するのは、平日で見た場合、朝夕のラッシュ時に限定される。どういことかというと、東武の車両が平日の日中に姿を見せないのだ。午前中は上記の東急821092が東武車による最後の運用となり、その次は渋谷20時05分発のメトロ1907T~東急807201までない。理由はよくわからないが、乗り入れ形式の主力である9000系がチョッパ制御車ということもあり、他形式車よりも消費電力が多いということも一因なのだろうか?土休日はほぼ終日で東武車も副都心線・東横線に姿を見せるが、その数は西武車よりも少ない。その西武車も朝夕のラッシュ時中心の活躍だが、平日の昼間も姿を見せる。


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(特急・保谷行きとして姿を見せた西武6000系)



この列車は元町・中華街を東急138092として出発し、渋谷からメトロ938M、そして小竹向原から西武6657として保谷に向かう。東横線内は特急運転であるため、種別・行先はご覧のとおり特急 保谷」と表示される。保谷駅はご存知の方も多いが、西武池袋線の中間駅で、停車するのは準急・通勤準急・各停のみで、急行はもちろん、他社の特別料金不要の特急に相当する快速急行も停まらない。そんなわけでこの表示は東横線内だけの種別とはいえ、ちょっとした面白味を感じる。この電車のあと、しばらく東急車とメトロ車の車両が続くが1時間ほどで再び西武車が姿を見せる。


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(東急126101として約1時間ぶりに姿を見せた西武6000系)



この電車は飯能始発で、西武3714~メトロ926M~東急126101として走り、元町・中華街到着後は4分の折り返しで、東急126112~メトロ1126M~西武1857として、小手指に向かう。


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(小手指行きとして戻ってきた西武6000系)



ところで、元町・中華街駅は横浜高速鉄道・みなとみらい線の終点駅だ。その横浜高速鉄道からは東急5000系をベースとしたY500系が乗り入れる。


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(陽射しでLEDが途切れ読めないが、おそらく小手指行きとしてやってきたY500系)



Y500系はみなとみらい線・東横線~副都心線・西武線の直通がメインとなっているようだ。これは東武東上線が各停でも10両編成が標準であるため、8両編成だと輸送力が若干落ちてしまい、結果的に東武線に入りにくいという事情が多少は影響しているようだ。

Y500系は全部で6編成という小所帯で、運用も東急5050系8連組(5050番台)と同一となっているので、東京時刻表で調べ上げてもその運用がわかりにくい。


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(ベイスターズ応援列車となっているY500系515編成)



全部で6編成という小所帯のY500系だが、横浜市が出資している第三セクター鉄道ということもあり、同じ横浜市が出資している市民球団「横浜ベイスターズ」の応援編成も存在する。昨年までは装飾も割と派手で、正面にベイスターズのロゴをあしらった楕円形のヘッドマークを取り付けていたので、遠目からでも判別できたが、今年はメトロ・西武・東武にも乗り入れることを意識しているのか、装飾は控えめで、正面にヘッドマークも取り付けられていない。そのかわりといっては何だが、各車両の側面にベイスターズのロゴをあしらったステッカーと、監督自らの直筆をもとに作成したものと思われる「勝」というステッカーを貼付している。2ヶ月後には堂々とした姿で西武球場前⇔元町・中華街間の臨時電車として君臨している姿を見たいところだ。


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(各停・和光市行きとして運転中の東急5000系)



この相互直通運転で最も姿を見せる機会が多いのがやはり東急車だ。最初にアップした写真であるが、一見すると5050系のように見えるが、5050系ではない。さらにこの車両の生い立ちを追っていくと、登場時は上部のピンクの帯はエメラルドグリーンの帯だった・・・と、ここまで書くと、だいたいお判り頂けるかと思うが、この車両は5050系の基となった5000系で、登場当初は田園都市線に配属されていたのだ。諸事情で、4編成が中間車2両を抜き取り、8両編成として東横線に転属してきた。

この転属編成を識別するポイントは内外それぞれに一つずつある。まず内部はシートモケットのカラー。5050系は赤色であるのに対し、5000系は青色となっている。これが内部の識別ポイントだ。そして外部であるがこれは形式ステッカーの十の位が識別ポイントとなる。5050系は51から始まり、現在26編成存在しているので、十の位が5~7となる。いっぽう5000系はJRでいう「基本番台(0番台)」という位置づけなので、十の位は0~4ということになる。これが外部の識別ポイントだ。次は副都心線乗り入れを想定して作られた枝形式を。


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(東急052112として川越市に向かう東急5050系4000番台)



正面のナンバーから「東急4000系」と略してしまいがちだが、正式には5050系の枝形式で「東急5050系4000番台」というのが正式な形式名称だ。5050番台との識別ポイントは一目瞭然、編成両数だ(5050番台=8両固定、4000番台=10両固定)。ただしこれはいまのところのことだけで、5050番台はあと3編成新造すると番号がいっぱいになるので、今後は8両編成の4000番台が出てくる可能性もある。


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(東急5050系の本家は8両固定編成、4000番台と識別するためのステッカーも貼付されている)



最後に東京メトロの車両をアップしよう。東京メトロからは10000系と7000系が乗り入れてくる。10000系は在籍する36本すべてが10両固定編成であるため、副都心線内は東横特急の運用が中心となる。あとは副都心線と一体運転を行う有楽町線のメトロ受け持ち分の列車の主力となる。


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(飯能行き特急として、東横線を疾走する東京メトロ10000系)



一方、7000系は8両編成15本と10両編成6本の2種類が存在しており、副都心線~東横線で見かける機会が多いのは東京メトロの車両は7000系の方である。これは東横線内各停のメトロ車持ち分と一部の東横線内急行が8両編成で運転されるためである。逆に7000系生誕の路線である有楽町線では10両編成が大幅に減ってしまったこともあり、見かける機会はほとんどない。


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(小手指行き急行として東横線内を走る東京メトロ7000系。写真の編成は有楽町開業にあわせ製造された1次車だ)



こうして東武東上線・西武池袋線~副都心線~東横線・みなとみらい線を走る電車を撮りながら、一番最初に運よくゲットできた4110Fの帰還を待っていたが、それはかなわなかった。ちょうど物理的帰ってくるであろう時間を過ぎても帰ってこなかったので、ここで撮影を終わらせることに。

撮影終了後は妙蓮寺駅前のラーメン屋で昼食を済ませ、菊名駅から横浜線に乗り換えて、横浜線の撮影ポイントを予習しながら帰宅の途についた。



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南古谷撮り鉄日記 [撮り鉄日記(JR首都圏)]

いよいよ、埼京線のE233系7000番台が営業を始めた。5月にアップした「指扇・西大宮撮り鉄日記」の結末の方で、「次は南古谷あたりで撮影しようと思う」と記述したのだが、計画通り実行へと運ぶことが出来た。というわけで、まずは南古谷駅で撮ったこの一枚から。


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(いよいよE233系への置き換えが始まった埼京線205系。9月には半数がE233系に置き換わるらしい)



この写真を撮った後は、駅を出る。指扇方に向かって撮るか、川越方に向かって撮るか考えた挙げ句、川越方で撮ることにした。駅を出て、川越方に進むとすぐに踏切に出くわす。踏切の名は「浦和街道踏切」。ここでは川越から来る電車を撮ってみる。


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(浦和街道踏切に差し掛かる205系ハエ4編成)



川越線はいまでこそ電化され、電車が当たり前のように走っているが、私が中学生のころはまだ非電化でキハ35形が往来するローカル線の一部だった。国鉄末期の1985(昭和60)年に電化された。そのせいなのか、架線柱は片持ち支持式が多く採用されており、撮影するのにもあまり考えなくて済むところがありがたい。浦和街道踏切で撮影した後は線路沿いを川越方に進む。3分ほど歩くと小さな川と鉄橋が見つかったので、ここで撮影をしてみる。そしてやってきたのは・・・


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(朝ラッシュ時の運用を終え、川越車両センターに戻る八高線・川越線直通用209系3000番台)



今夏の撮り鉄は今までと少しやり方を変え、朝早い時間に出発し、昼間の気温が一番高くなる時間帯に帰宅する―こうすることで、暑さによる体力消耗を最小限に抑えようという考えだ。このやり方でさっそく功を奏したのが上の写真であろうか。朝ラッシュ時の運用を終えて川越車両センターに戻る209系3000番台。日中では見られない光景だ。つづいて205系も撮影する。


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(209系3000番台通過後、すぐにやってきた埼京線205系)



この電車の撮影を終えたところで、次のポイントへと移動する。次のポイントは直線距離では目と鼻の先なのだが、道路が近くにある河川敷を迂回しているため、15分くらい歩くことになる。


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(川越から南古谷に向かう埼京線205系)



次のポイントは「堤田踏切」という小さな踏切だ。ここから、小さな踏切が200~300mくらいの間隔で続く。ここまで205系が続いていた埼京線だが、ここへ来て、ようやくりんかい線の70-000型に出会う。


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(堤田踏切に差し掛かるりんかい線・70-000型)



E233系に置き換わると輸送力で差が出てしまう70-000型。はたして後継車種がでてくるのか、気になるところだ。70-000型は続いてこの角度からも撮影してみた。


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(川越から南古谷に向かって疾走するりんかい線70-000型)



大都会東京、お台場の地下を走る電車というイメージが先行しがちのりんかい線70-000型。このような水田とのミスマッチ的な光景が見られるのも、相互乗り入れ相手があってこそのこと。
ここまでの撮影を終えて堤田踏切を後にし、次の撮影ポイントへ。次の撮影ポイントも直線でいけば、近いところなのだが、水田を迂回していくためちょっと時間を要した。それでも途中でこんな素晴らしい写真が撮れた。


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(青々とした水田の横を通過する埼京線205系。この光景も今年限りなのか・・・?)



まさに描きたかった絵が撮れた。青々とした水田の横を颯爽と走り去る205系。前回の指扇・西大宮撮り鉄のときには撮りたくても撮れなかった光景だ。その時は次に機会があった時は田んぼが青々とした頃にこのあたりで撮ろうと決めていた。そしてこの後、いよいよE233系と出会うことに・・・。


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(北田踏切に差し掛かるE233系7000番台)



埼京線そして電化された川越線大宮口では3代目の当主となるE233系7000番台。この日はまず営業開始直前に落成されたハエ107編成に遭遇。折り返し、新宿方面の電車として帰ってくるかと思ったら、朝ラッシュの運用を終えたところだったらしく、10分ほどで戻ってきた。


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(川越から南古谷に向かうE233系。日差しでLED表示が見えないが、“回送”表示になっている)



ところで、E233系7000番台ではこれまでの京浜東北線のE233系1000番台に倣い、現在走行中の路線でも忠実に表示する。つまり、これまでの205系が川越線内に入ってもLED表示が「埼京線」のままであったが、E233系ではきちんと「川越線」と表示する(E233系1000番台が根岸線内を走行するときは、“京浜東北・根岸線”と表示される)。205系では「川越線・大宮~川越間は運転系統上、埼京線の一部」ということで、「川越線」の表示はなかったらしいが、やはりこの表示が自然だ。

続けて、205系を少し角度を変えて撮ってみた。


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(北田踏切に差し掛かる埼京線205系)



ほんの少し角度を変えてみただけだが、ご覧のとおり少し迫力気味の絵が描けた。ここまでの撮影で、北田踏切を後にし、本日最後の撮影ポイントに向かう。最後の撮影ポイントは南古谷~川越間のほぼ真ん中のところで、ここでもE233系7000番台を捉えることができた。


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(南古谷から川越に向かうE233系7000番台。営業開始記念のヘッドマークを掲出している)



この日、最後に捉えたE233系7000番台は記念すべき第1編成(=ハエ101編成)で、営業開始記念のヘッドマークを掲出していた。

この撮影を終えたところで時刻は正午近くとなり、撮れるべき被写体はすべてゲットできたので、ここで引き上げることに。この地点から20分ほど歩いて東武東上線の新河岸駅に向かって帰路につくことに。今回の撮影で、川越線の撮影ポイントは荒川橋梁だけではないということが改めて実感することが出来たのは収穫だった。



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一ノ関(有壁)・雫石撮り鉄日記(後編) [撮り鉄日記(JR首都圏以外)]

帰京となる26日は、雫石駅をキーポイントにして、秋田新幹線の撮影に専念した。一ノ関のホテルをチェックアウトし、9時37分発の“はやて101号”で盛岡に向かった。まずはこの1枚から。

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(一ノ関駅でE3系+E5系の“はやて23号”に追い抜かれるE2系“はやて101号”)



一ノ関駅に停車するはやて号は盛岡どまりとなる列車のみだ。新青森行きでなくとも、大宮~仙台間はノンストップで走るので別に騙されたとかそういう気分にはならない。

雫石へは盛岡から、雫石停車の“こまち”号または“スーパーこまち”号か田沢湖線に乗り換えとなるが、新幹線は3分の1ほどしか停まらない上に、普通列車しかない田沢湖線はほぼ終日にわたり2時間に1本しかない。ということで、インターネットで岩手県交通のHPを調べてみると、盛岡駅前から雫石にある営業所までほぼ1時間に1本程度で運転されており、効率的に移動するにはこれが一番と判断し、11時発の雫石営業所行きのバスで、雫石駅に向かう。約50分で雫石駅に到着。雫石駅に到着後は付近で撮影ポイントを探す。まずは盛岡方で探し、見つけたポイントはここだ。

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(盛岡〈小岩井〉から雫石に向かうE3系“こまち29号”)



新幹線としては雫石は盛岡の次駅だが、在来線の田沢湖線では雫石の手前の駅は小岩井である。今度は雫石から盛岡に向かうE3系“こまち”号を狙ってみた。


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(雫石から盛岡〈小岩井〉に向かう、E3系“こまち32”号)



この列車を撮った後は、田沢湖方に移動し、撮影ポイントを探す。


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(春木場から雫石に向かう701系5000番台による盛岡行き普通列車)



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(雫石から田沢湖〈春木場〉に向かうE3系“こまち31”号)


この2枚は雫石駅前の目抜き通りを歩き、線路の方にに進路を変えたところにある跨線橋から撮影したものだ。どちらも、ケーブルが邪魔しているが、これだけのロケーションで撮れる写真であればそこは我慢すべきだろう(邪魔だからと言って、ケーブルを切ったら手が後ろに回りますよ!)。

後半は駅構内での撮影とした。


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(雫石駅を通過するE3系“こまち35号”)



雫石駅は2面3線構造で、このうち本屋側の1番線が減速を必要としないスルー方式となっており、新幹線は上下ともこのスルー式となっている1番線から発着する。


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(雫石駅にゆっくり進入する、E3系“こまち36号”)



こまち36号を撮った後は、2番線に田沢湖線の普通列車が進入してくる。


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(雫石駅で“スーパーこまち12号”の通過を待つ701系5000番台)



田沢湖線専用の701系は後部尾灯が窓上に移設されているため、このような顔つきとなっているが、もともとの701系は狭軌バージョンの0番台・1000番台・1500番台ともにこのマスクで落成する予定だった。それが何らかの事情で、狭軌バージョンの方は後部尾灯が腰部に設置され、JR北海道のキハ32型によく似た顔つきとなっている。

締めはこちらの列車で。


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(雫石駅を高速で通過するE6系“スーパーこまち12号”)



E3系の後継車両となるE6系は7両編成となりその結果、東北新幹線内ではE5系との併結による17両編成・編成長390メートルというマンモス編成となる。9月28日のダイヤ改正では“スーパーこまち”の他に“こまち”号も担当するようになり、秋田新幹線の約半分がE6系となる。

E3系を撮っておくのであれば、この夏休みに撮っておいた方が良いだろう。

これにて、今回の撮り鉄は無事終了。雫石17時10分発の“スーパーこまち14号”で帰京の途についた。



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