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名古屋撮り鉄日記②~2014年5月の巻 [撮り鉄日記(JR首都圏以外)]

どうも、ご無沙汰しております。





いやあ、正直なところ、こんなに早くに名古屋を再訪することになるとは思ってもみませんでした。

きっかけは前回、2月に地下鉄鶴舞線3000系の最後の勇姿を撮るべく決行した撮り鉄旅行から帰ってきて、1週間ほど経ってのことまでにさかのぼります。


寝る前にTwitterを見ていたら、ちょっとびっくりのニュースが流れ込んできました。

「SNH48・宮澤佐江、SKE48・チームSリーダー兼任へ」

いやあ、これにはちょっと目を疑いました。でもこの時点ではすぐに「どーせ、また辞退するんだろうな・・・」と少しタカをくくっていました。ところが、翌日以降、TwitterのライバルともいえるLINEが発信する「LINE NEWS」で「宮澤佐江、SKE兼任、快諾の意向へ」と出ていたのです。まあ、ここまで書けばお解りになったかと思いますが、実は私、AKB48グループの中では彼女がイチオシなんです。常に元気でポジティブな性格には癒されてしまうのです。「第5回選抜総選挙」では10位にランクされたにもかかわらず「あらゆるリスクを覚悟して決意したことに専心したい」ということで上海一本(SNH48)でいくと宣言した彼女のことだから、そんなに簡単に心が揺らぐはずないだろうと思っていたのです。でもその間に彼女と同期生で互いを「心友」と呼び合う、大島優子が昨年の大晦日に卒業を宣言したのはまだ記憶に新しいところです。簡単に揺らぐことはないだろうと思っていた彼女にはこの卒業宣言が強烈なボディーブローになったのでしょうか。総選挙でのあの宣言を翻す形で兼任を引き受けることにしたのでしょう。

「裏切られた!」と失意を露わにしたファンも結構いたようですが、私はその逆で、彼女を応援したいという気持ちが一層強まりました。それが名古屋再訪へとつながったわけであります。そして5月下旬にそれを決行することになりました。


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(SKE48SHOP&CAFE内に鎮座する本物のスクールバス。中は厨房に改装されている)



今、思うとSKE48との兼任だから良かったのかもしれません。SKE48はすでに松井玲奈・松井珠理奈・須田亜香里といったビッグネームが中心となりグループを盛り上げている現状。そんな中で全くの外様である宮澤佐江ちゃんが受け入れられ、活躍できる余地があるのか?ファンとしては少し心配でしたが、それは全くの無用だったようです。


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(SKE48劇場の入り口。この日はあいにく休館日でした…>_<)



当初は「土日なら劇場はやっているだろう」という全く根拠のない感覚でいったのですが、劇場はあいにくの休館日でした。それでも併設されている「SKE48SHOP&CAFE」で秋葉原では体験できない寛ぎのひと時を過ごすことができたので、まずまずでした。

そんなわけで今回は撮り鉄旅行といいながら、どちらかというとSKE48にウェイトを置いた旅行だったので、撮り鉄の方は本当にごくわずかで前回、時間の都合で撮れなかったJRの車両だけに的を絞り撮ることにしました。期待されていた方々には申し訳ございません[あせあせ(飛び散る汗)] 。まずは全国的にも希少な存在となった「架線下DC」を。


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(名古屋駅で発車を待つキハ75形による、武豊線直通 “区間快速”)



「架線下DC」は特急形車両を中心にまだまだ見れるところがありますが、普通乗車券だけで乗れる一般型車両に限定するとそれはかなり限られてきます。このキハ75形による武豊線直通の“区間快速”はその一つです。名古屋駅からはこの他にも非電化の紀勢本線・参宮線に直通する“快速みえ”が同じくキハ75形で運転されています。


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(313系電車に瓜二つのディーゼルカー・キハ25形による武豊線直通 “区間快速)



この車両を見て313系か?と思われる方もいらっしゃることでしょう。正体はキハ25形というディーゼルカー。製造コストを下げるために車体を極力313系と同一にしている点が特徴で、313系との識別ポイントは、パンタグラフの有無はもちろんのことですが、その他ではおでこのヘッドライトの有無も識別ポイントとなります。
現在は武豊線直通と、紀勢線直通の2系統で見られる一般型車両による「架線下DC」ですが、武豊線は目下来春開業に向けて電化工事が進行中であり、電化後は313系に置き換えられることが発表されています。したがって、武豊線直通の架線下DCを見られるのは来年2月頃までということになります。つづいても「架線下DC」ですが、こちらはそのキング的な存在です。


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(名古屋駅に到着後、乗客をすべて降ろし、名古屋車両区へ回送出発待ちのキハ85形 “特急ワイドビューひだ”)



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(こちらも名古屋車両区へ回送出発待ちのキハ85形“特急ワイドビューひだ”)



キハ85形は輸送実態に合わせ、分割併合が容易にできるキハ82形の意匠と車内からの展望をもっと楽しみたいという対極する二つの需要に応えられるように、非貫通形パノラマ先頭車キロ85形(またはキハ85形0番台)と丸みをおびたごっついスタイルが特徴の貫通形先頭車キハ85形100番台という2種類の先頭車がありますが、私はどちらかというと、スマートな非貫通形よりもごっつい貫通型のキハ85形100番台の方が好きですね。丸みを強調しているデザインゆえに幌受けまでもが目立ってしまうスタイルには愛嬌を感じますね。つづいては電車を。JR東日本管内では衰退気味であるものの、こちらJR東海管内では中央西線を中心にまだまだ健闘中の211系から。


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(名古屋駅で発車を待つ211系5000番台による中央西線・高蔵寺行き普通列車)



名古屋地区における211系は国鉄末期にセミクロスシートの0番台が4両×2編成が配置されたところから始まります。そしてJR東海発足後は311系が登場するまで主力車両として量産が続けられました。ただし、JR東海になってから量産されたのはオールロングシート・トイレなしの近郊形というよりも通勤型にかなり近い5000番台のみの量産で、オリジナルのセミクロスシートを備えたのは国鉄末期に投入された0番台の4両×2本ということになります。そしてJR東海における211系の後継車はというと・・・


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(岐阜行き普通列車として発車を待つ311系)



311系は東海地区に新たに新設される“新快速”に投入する車両として1989年に登場しました。注目すべき点はJRの快速列車としては初めて最高速度120㎞/hで営業運転する車両として注目を集めました。また登場時はJR北海道の721系、JR西日本の221系、JR九州の811系とならび、次世代の近郊形車両として注目を集めた車両です。特急車両に遜色しない車内設備を持ちながら、普通乗車券だけで乗れるハイグレードな一般型車両として注目を集めました。ただ、制御装置がいずれも界磁添加励磁制御という現在では化石的といっても過言ではない制御装置であったためか、増備は長続きせず、JR東海では1999年に313系にシフトされました。


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(名古屋駅で発車を待つ新快速・米原行き313系電車) ※プライバシー保護のため、画像を一部加工してあります。



313系は今やJR東海の標準車両という位置づけられる車両です。ポジショニングやプロフィールはJR東日本のE231系と同等です。登場時はオール転換クロスシート車のみでしたが、身延線・御殿場線・飯田線用に先代車両・115系に準じたボックス式固定クロスシートとしたセミクロス車3000番台・3100番台も増備されました。ここまではなんとなく容認できるところなのですが、そのあとに登場した2000番台ははっきり言って別形式を名乗ってほしいくらいです。313系といえばやはりクロスシートが「売り」であり、静岡都市圏での限定運用とはいえ、オールロングシート車は容認し難いです。武豊線用として新造されるグループには2000番台ではないことを願うばかりです。


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(豊橋行き・新快速として発車を待つ313系5000番台)



とまあ、今回の名古屋撮り鉄日記はわずか2時間ほどで終わってしまいましたが、前回撮れなかったJR車両に的を絞ることで前回とはまた趣の異なるシーンを展開させることができました。

夏休み明けに再び行く計画を立てています。もちろん今度はSKE48劇場で公演がある日に・・・。最後にちょっとした情報を。SKE48の松井玲奈って鉄道ファンなんですよ。これウィキペディアで調べればわかることなのですが・・・。特に新幹線に造詣が深いようです。これは自分も初めて知った時に「へぇ~!」と思わず声を上げてしまいました。
それでは、また。

一ノ関(有壁)・雫石撮り鉄日記(後編) [撮り鉄日記(JR首都圏以外)]

帰京となる26日は、雫石駅をキーポイントにして、秋田新幹線の撮影に専念した。一ノ関のホテルをチェックアウトし、9時37分発の“はやて101号”で盛岡に向かった。まずはこの1枚から。

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(一ノ関駅でE3系+E5系の“はやて23号”に追い抜かれるE2系“はやて101号”)



一ノ関駅に停車するはやて号は盛岡どまりとなる列車のみだ。新青森行きでなくとも、大宮~仙台間はノンストップで走るので別に騙されたとかそういう気分にはならない。

雫石へは盛岡から、雫石停車の“こまち”号または“スーパーこまち”号か田沢湖線に乗り換えとなるが、新幹線は3分の1ほどしか停まらない上に、普通列車しかない田沢湖線はほぼ終日にわたり2時間に1本しかない。ということで、インターネットで岩手県交通のHPを調べてみると、盛岡駅前から雫石にある営業所までほぼ1時間に1本程度で運転されており、効率的に移動するにはこれが一番と判断し、11時発の雫石営業所行きのバスで、雫石駅に向かう。約50分で雫石駅に到着。雫石駅に到着後は付近で撮影ポイントを探す。まずは盛岡方で探し、見つけたポイントはここだ。

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(盛岡〈小岩井〉から雫石に向かうE3系“こまち29号”)



新幹線としては雫石は盛岡の次駅だが、在来線の田沢湖線では雫石の手前の駅は小岩井である。今度は雫石から盛岡に向かうE3系“こまち”号を狙ってみた。


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(雫石から盛岡〈小岩井〉に向かう、E3系“こまち32”号)



この列車を撮った後は、田沢湖方に移動し、撮影ポイントを探す。


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(春木場から雫石に向かう701系5000番台による盛岡行き普通列車)



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(雫石から田沢湖〈春木場〉に向かうE3系“こまち31”号)


この2枚は雫石駅前の目抜き通りを歩き、線路の方にに進路を変えたところにある跨線橋から撮影したものだ。どちらも、ケーブルが邪魔しているが、これだけのロケーションで撮れる写真であればそこは我慢すべきだろう(邪魔だからと言って、ケーブルを切ったら手が後ろに回りますよ!)。

後半は駅構内での撮影とした。


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(雫石駅を通過するE3系“こまち35号”)



雫石駅は2面3線構造で、このうち本屋側の1番線が減速を必要としないスルー方式となっており、新幹線は上下ともこのスルー式となっている1番線から発着する。


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(雫石駅にゆっくり進入する、E3系“こまち36号”)



こまち36号を撮った後は、2番線に田沢湖線の普通列車が進入してくる。


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(雫石駅で“スーパーこまち12号”の通過を待つ701系5000番台)



田沢湖線専用の701系は後部尾灯が窓上に移設されているため、このような顔つきとなっているが、もともとの701系は狭軌バージョンの0番台・1000番台・1500番台ともにこのマスクで落成する予定だった。それが何らかの事情で、狭軌バージョンの方は後部尾灯が腰部に設置され、JR北海道のキハ32型によく似た顔つきとなっている。

締めはこちらの列車で。


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(雫石駅を高速で通過するE6系“スーパーこまち12号”)



E3系の後継車両となるE6系は7両編成となりその結果、東北新幹線内ではE5系との併結による17両編成・編成長390メートルというマンモス編成となる。9月28日のダイヤ改正では“スーパーこまち”の他に“こまち”号も担当するようになり、秋田新幹線の約半分がE6系となる。

E3系を撮っておくのであれば、この夏休みに撮っておいた方が良いだろう。

これにて、今回の撮り鉄は無事終了。雫石17時10分発の“スーパーこまち14号”で帰京の途についた。



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一ノ関(有壁)・雫石撮り鉄日記(前編) [撮り鉄日記(JR首都圏以外)]

6月25日から26日にかけて、休みを取り、昨年他界した母方の伯父の墓参りに行ってきた。その前後の時間を利用して、母の実家がある岩手県一関市と秋田新幹線の最初の停車駅である雫石まで行って、撮り鉄を敢行した。

まずは出発前に東京駅で撮ったこの1枚から。


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(東京駅に入ってきたE5系+E3系による、“やまびこ215号”。E2系が東北新幹線から撤退するのも時間の問題…という暗示に思える)



“やまびこ215号”を撮った後は急いで階段を昇り降りし、そのあとに出発する“はやて107号”に乗り込む。この“はやて107号”はE2系で運転されており、途中、宇都宮で先に出発した“やまびこ215号”を追い越す。E2系がE5系を追い越すというちょっとした珍光景が見られるのだが、来る9月28日に東北・上越新幹線でダイヤ改正が予定されており、この珍現象が見られるのはそこまでかもしれない。




ところで、一ノ関へは伯父の墓参りをした後、ホテルに戻るまでの間のわずかな時間を利用して、子供の頃から一度行ってみたいと思っていたところがあり、今回やっとの思いで行くことができた。そして雫石にはE3系“こまち”とその後継であるE6系“スーパーこまち”を撮るべく行った。説明はこのぐらいにしておいて、まずは先に撮った一ノ関~有壁間で撮った写真から・・・。


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(一ノ関から有壁に向かう、E721系仙台行き普通列車)



E721系は常磐線・水戸線で活躍するE531系をベースとしたローカル列車専用車両だ。位置付け的には701系の後継車というところで、いずれは黒磯~一ノ関~盛岡間用のローカル列車の主力となるだろう。現状としてはまだまだ701系の方が主力だ。つづいてこちらの写真を・・・。


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(有壁から一ノ関に向かうE721系による一ノ関行き普通列車)



この撮影ポイントにはちょっとした特色がある。それは、複線区間であるにも関わらず上下線の間隔が最大で80m近く離れているということ。何らかの事情があるのだろうが、そこは謎のままだ。そのためこの地点に「要害踏切」という踏切があるのだが、上り線用と下り線用で別々に設置されている。この上下線が大きく開いたところを上手く利用した写真が次にアップする写真だ。


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(EH500牽引による、北海道方面行きの高速貨物列車。上り線用の要害踏切付近から撮影)



この撮影ポイントへのアクセスだが、ちょっとした勇気がいる・・・。付近にあるバス停の名前が引っ掛かるところなのだ。そのバス停の名前はひらがなで書くと「おにしがい」。何気ないと思われるだろうが、これを漢字で表記すると下記のような恐ろしい表記となる。



鬼 死 骸



なんとも背筋に冷たいものが走りそうな名前のバス停だ。ただこのバス停には平日限定で1日2回しかバスが停まらない。というわけで、ここへの簡単なアクセス方法はタクシーしかないのだが、そのタクシーでも運転手に「鬼死骸バス停付近まで」と告げないとなかなか行ってもらえない。無難に行きたいのであれば、一ノ関駅前から岩手県交通の一関営業所経由のバスに乗り、一関営業所で下車し、30分ほど歩いていくとたどり着くことが出来る。

この日は予定通りに写真を撮ったところで、岩手県交通の一関営業所まで歩いていき、そこからバスで一ノ関駅まで行き、ホテルに向かった。



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一ノ関・平泉撮り鉄日記(後編) [撮り鉄日記(JR首都圏以外)]

1月某日 岩手県一関市 天候:晴れ時々雪 最高気温:-7℃/最低気温:-11℃


上記のような天候条件の下、2日目の撮り鉄を敢行した。場所は当初の予定では一ノ関~有壁間の線路沿いにする予定でいたが、前日の撮り鉄の最後で見つけた中尊寺付近の踏切のほうが場所もわかりやすいということで、予定を変更して、中尊寺付近にあるこの踏切を中心に約3時間弱、撮り鉄を敢行することにした。


8時30分ごろに宿を出発、タクシーで一ノ関駅に向かう。路面が凍結しており、40㎞/h以上は出さないよう、慎重な運転だ。8時55分に出発する中尊寺経由・イオン前沢店前ゆきの岩手県交通のバスに乗る予定だが、間に合うかどうか。8時50分ごろに一ノ関駅に着いたので、まずは一安心したいところだが、バスが見当たらない。時刻表を見間違えてしまったか。とりあえずコインロッカーに撮り鉄に必要のないものは預け入れる。そして乗り場に向かうと同時に中尊寺経由・イオン前沢店前ゆきのバスがゆっくりと入ってきた。一関市内のはずれにある車庫から営業運転でやってくるので、路面凍結の影響もあり、若干遅れてしまったとのこと。これでほんとに一安心し、バスに乗り込む。20分ほどで中尊寺前に到着。あとは前日歩いたルートで、撮影地の踏切を目指す。

そして、踏切に到着し、カメラを構え始めて数分後、警報機が鳴りだした。点灯している矢印の向きで、盛岡方面にやってくる列車であることが判明。やってきたのはこの列車だった。


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(普通9561M 前沢行き)



この普通列車、列番からもわかるとおり、定期列車ではなく臨時列車だ。時刻表のサイトで調べると、行き先は前沢で“平泉リレー”という愛称がついている。リレーの意味はたぶん、一ノ関停車の“はやて”から接続するという意味だろう。一ノ関始発で終点は前沢。北上か花巻まで運転すればいいのにとも思うのだが・・・。前沢到着後は回送列車となって、一ノ関に戻る。


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(“平泉リレー”の運転を終えて一ノ関に戻る701系4連の回送列車)


この日は時折吹雪になり、いかにもこの季節らしい写真が撮れるのだが、時折薄日が差し、このおかげで反射光ができてしまい、シャッター速度と光線のバランスがうまくかみ合わず苦戦を強いられた。


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(吹雪の中を通過する、EH500による高速貨物列車)


次の普通列車が来る間に2回、高速貨物列車が来たのだが、1回目はピントが合わずに撮りこぼしてしまった。2回目で撮れたこの列車もややピントがずれているのは一目瞭然だ。

次の普通列車は先ほどの“平泉リレー”とは違う角度で撮ろうと思い、踏切から少し離れたところでカメラを構える。そして撮れたのはこの一枚だ。


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(701系普通1533M。吹雪で方向幕やJRマークが隠れてしまっている)


ただでさえシンプルすぎる701系のフロントマスクが吹雪の影響で方向幕・JRマークともに隠れてしまい、その顔は初代・東京地下鉄(現在の東京メトロ銀座線の一部区間)1000形(後の営団地下鉄1000形)のような表情になっているのには笑えた。

この後も、高速貨物列車2本と、快速“ジパング平泉”号を撮るチャンスがあったが、ピント合わせがうまくいかず、撮りこぼした上に、“ジパング平泉”号の撮影時にはなんとカメラの電池残量警告が出てしまうという事態に・・・[もうやだ~(悲しい顔)]。なんとか撮れるだろうと頑張ってみたが、無情にも踏切の警報機が鳴り始めたその瞬間に「バッテリー交換をしてください」という表示とともに、ファインダーの先の視界が真っ暗に・・・[がく~(落胆した顔)]・・・最悪だ・・・。

こうして“ジパング平泉”号は見送る羽目になり、その直後にやってくる普通1535Mで挽回しようと思ったが、反射光に振り回されてしまい、撮りこぼしてしまった[ふらふら]

これで一応、今回の撮り鉄は終了だが、撮りこぼしが多かったのは何とも残念だった。東京の職場などへのお土産を時間を買う時間なども考慮し、中尊寺前を12時ごろに出発するバスで一ノ関駅に戻った。

その際に撮りこぼしの雪辱を晴らすべく、留置線で昼寝していた701系を撮りまくった。その一枚がこれだ。


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(一ノ関駅の留置線で休む701系電車)



これで今回の撮り鉄はすべて終了。一ノ関13時48分発の東北新幹線「やまびこ58号」で帰京の途に着いた。

今回の撮り鉄、山ノ目付近の新たな撮影ポイントを見つけることができたという収穫があった反面、高速貨物列車のダイヤが読み切れなかったのは少々悔やまれる点だった。次回来訪の際には高速貨物列車の時刻もきちんと調べて撮影に臨みたいと思う。


これにて今回の一ノ関・平泉撮り鉄日記は終了です。2月から3月にかけては首都圏の大手私鉄のうち、東急・東武・西武・京王の4社で大きなダイヤ改正が予定されています。それに関連してダイヤ改正を機に見納めとなる光景がいくつかあるので、それらを撮って、アップしていきたいと思います。

一ノ関・平泉撮り鉄日記(中編) [撮り鉄日記(JR首都圏以外)]

11時36分、701系2連の普通1535Mがゆっくりと走りはじめた。701系は首都圏の209系の東北地方仕様車として製造された。今回乗った一ノ関~盛岡間を中心に運用される1000番台盛岡仕様車は一番最初に投入された秋田地区向けの0番台に続き、50系客車列車による普通列車を電車化するべく投入された。外観上の識別ポイントは0番台の赤紫系の帯色に対して、こちらは青紫系の帯色となっている点だ。


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(平泉駅を発車する701系普通列車)



701系のオリジナルのVVVFサウンドは209系500番台と同じタイプが採用されていたが、近年になり更新工事が施工され、施工された車両のVVVFサウンドはE233系によく似たタイプとなっている。

一ノ関を出発しておよそ4分ほどで山ノ目に到着。一ノ関~盛岡間にあるうちの駅で3駅しかない「無人駅」のひとつだ(あとの2つは陸中折居と紫波中央)。停車中の車窓をみてびっくり!盛岡に向かって右側に道路をはさんで、桜の木がたくさん並んでいるではないか。東北本線の桜の名所といえば、船岡付近が有名だが、ここはその船岡の人気に隠れた穴場的なスポットかもしれない(そういえば、近くの地名が一関市桜木とか言ったけか)。来春にまた訪れる楽しみが増えたような気がする。桜並木と思われる並木道は山ノ目を出発した後もしばらく続く。

山ノ目からおよそ4分で今回の目的地である平泉に到着する。2面3線の停車場スタイルの構内配線で、下り線が駅舎本屋を兼ねた単式1面1線、上り線が待避線を備えた1面2線となっている。

駅舎もなかなか渋くて良いのだが、上りホームにある民芸風の待合室もなかなか渋い。今回の撮り鉄、小手試しにまずこの待合室を撮影してみることにした。


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(民芸調で渋いつくりの上りホーム待合室)



関東近郊でもこれほど渋いつくりの待合室はそうそう見つからない。自分の記憶の中では、中央東線の石和温泉駅の上りホームにある待合室ぐらいしか思い出せない・・・。

改札を出て、撮影に必要のないものは、コインロッカーに預け入れ、さっそく撮り鉄行動に入る。平泉を出た東北本線の線路は中尊寺がある関山(かんざん)付近から田んぼの中を高台に築いた軌道上を走るため、撮影ポイントは中尊寺の手前までということになる。事前に地図で調べたところ、平泉から中尊寺付近にかけては踏切が2か所あることが判明していた。まずはそのうちの1か所で撮影をする。


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(平泉駅を高速で通過し青森に向かうEH500牽引の高速貨物列車)



東北本線はほぼ終日にわたり普通列車が上下ともに1時間ヘッドという本線とは程遠いのどかな路線だが、合間に貨物列車が多数運転されており、退屈することがない。この列車を撮影して数分後に今度は青森方面から別の高速貨物列車がやってきた。


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(おそらく根岸に向かうとみられるEH500牽引の石油高速貨物列車)



石油輸送列車はつい数年前までは、タンク貨車が高速対応となっていないため、高速化と無縁であったが、数年前からコキ100系列をベースとしたタンク貨車・タキ1000が某大手石油メーカーの私有貨車として製造されてからは石油輸送列車も高速化されるようになった。その一方で、国鉄時代からの生え抜きであるタキ43000が経年劣化で逐次廃車されているという事実もあるが。この列車はおそらく東青森で原資である石油を積み込み、根岸線の根岸まで向かう列車であると推測できる。


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(北海道からの直通と思われる高速貨物列車)



先ほどの石油高速貨物列車が通過したあと、数分おいてまた高速貨物列車がやってきた。最後尾のコキには反射板ではなく、ちゃんとしたカンテラ型の標識灯がつけられていたので(反射板では青函トンネルの通過が不可なため)、北海道から直通の高速貨物列車と思われる。ちなみにこの高速貨物列車を牽引しているEH500は、初期の量産機で、黒をアクセントカラーに用いているため、顔つきがややごつい(石油高速貨物列車を牽引している方は後期の量産機)。

ところで東北本線の普通列車は、その大半が電車での運転であるが、1日に上下1本ずつ、変わった形態の列車が運転される。


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(平泉駅に向かう普通1736D列車。キハ100形による4両編成の列車だ)



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(1736D列車を後追いで撮影する)



この列車は、北上線での運用を終えて、一ノ関機関区(運輸区)へ入庫するための列車なのだが、時間帯がちょうど下校時間帯と重なることもあるのか、北上から一ノ関まで営業列車として運転されているようだ。

この列車を撮影し終えたところで、ちょうどおなかが空いてきた。時刻表上ではこの1736D列車の約1時間後に上りの“ジパング平泉号”がやってくるので、ここで小休止することに。


平泉駅前から伸びる中尊寺の参詣道上には飲食店が結構あるので、食事には不自由しない。

「ばっとう汁」という青森の「せんべい汁」によく似た汁ものとそばを食べて、ふたたび先ほどの撮影ポイントへと向かう。待つこと十数分でお目当ての列車がやってきた。


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(平泉駅に向かう485系快速“ジパング平泉”号)



この列車は、かつて高崎地区にいた485系のお座敷列車「やまなみ編成」と「せせらぎ編成」のうち、「せせらぎ編成」がリニューアルされるのに伴い(現在の「やまどり」編成)、中間車を「せせらぎ編成」のリニューアルで抜き取られ、先頭車だけが残された「やまなみ編成」に青森運転所の“白鳥”運用から外された、485系3000番台のMM’ユニットを間に挟み込んだ凸凹編成のジョイフルトレインで、おそらくこの“ジパング平泉”の運用終了後、廃車・解体を前提としているのだろうか、塗装の変更以外、あまり手は加えられていないようだった。




この列車の撮影を終えたところで、撮影行動は、再度小休止にして、せっかくなので、中尊寺へと向かう。この撮影ポイントから中尊寺まではゆっくり歩いても30分足らずでいける。約1時間ほど、中尊寺で休んだ後、再び先ほどの撮影ポイントに戻り、本日最後の下り“ジパング平泉”号を撮るつもりでいたのだが、中尊寺を出て、先ほどのポイントに戻る途中で、踏切を発見!地図では踏切なのか、アンダーパスなのかよくわからないところだったところだ。迷うことなく、“ジパング平泉”号はここで狙うことにする。“ジパング平泉号”の前に下りの普通列車も来るので、こちらも併せて狙うことにする。

そしてやってきた普通列車はというと・・・


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(仙台地区用の701系1000番台でやってきた普通列車)



正面の行先表示がLEDだったので、これはもしかしてと期待したら・・・何が悲しくてここへ来てまで仙台地区用の701系を撮らねばならないのだろうか。せめてIGRいわて銀河鉄道の車両で来てほしかったなぁ・・・[あせあせ(飛び散る汗)]

そして、15時40分過ぎ、踏切が鳴り始めた。“ジパング平泉号”の通過時刻だ。対向列車と被らないことを願いながら、慎重にカメラを構える。


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(夕暮れ間近の中尊寺付近を通過する“ジパング平泉”号。編成美がまったくないのが気になるところだ)


この撮影をもってこの日の撮り鉄は終了。平泉駅まで歩くつもりでいたのだが、途中で何やらバス停らしきものを発見する。はて、バスは国道を走っているはずなのだが??・・・疑念をもちつつ近づいてみると・・・

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(高舘義経堂前という名前のバス停。このバス停は平泉の町を循環するコミュニティバスの停留所だった)



そのバス停の正体は平泉の町を循環して走るコミュニティバス「るんるんバス」の停留所だった。平泉町が補助金を出して、岩手県交通が運営するバスだ。平泉駅から毛越寺→悠久の湯→中尊寺などを経て平泉駅前に戻るという運行スタイルだ。専用車が用意されているが、点検などで入庫しているときは一般路線車で代用される。

時刻表を見ると、10分ほどで来ることがわかったので、見聞を拡げるべく乗ってみることにした。平泉駅まではおよそ10分の所要時間だ。


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(平泉循環バス“るんるん”専用車)



乗車料金は140円均一となっているので、車内の運賃表示機のところにはモニターが設置され、停車する停留所を映像で簡単に紹介している。

約10分で平泉駅に到着。ここから16時27分発の普通列車で一ノ関に向かい、今宵お世話になる宿へと向かった。


(中編はこれにて終わり、後編につづく)



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一ノ関・平泉撮り鉄日記(前編) [撮り鉄日記(JR首都圏以外)]

前回の記事「2013年更新初め」の最後にお知らせしたとおり、本年初のリアルタイムの撮り鉄を敢行しました。一応予定では今回から前・中・後編の3回でその道中での出来事をアップしていきたいと思いますので、どうぞお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。





その予定は昨年の暮れに突如決まった。





1月に3日間の連休を取らせてくれるというので、ありがたく頂くこととし、リフレッシュを兼ねた撮り鉄の小旅行を計画したのだ。

で、場所はどこにしようか?この時、うすぼんやりと頭をよぎったのが「中尊寺の雪吊り」と「一関温泉」だった。そうだ、プライベートで温泉を堪能する機会がしばらくなかったので、この際行こう!と迷わずに決まった。



ここまで決まれば、あとは宿と往復の新幹線指定席の手配だけだ。まずは買ったばかりのスマホに「じゃらん」のアプリを取り込み、エリアを「岩手県」「奥州・平泉・一ノ関」と絞り込み検索する。実は一関温泉には一昨年の暮れに一度行っている。こう書くと先に記した「プライベートで温泉を堪能する機会がなかった」と矛盾するのでは思われるかもしれないが、このときは、病気で入院していた伯父を見舞うため風呂付きの宿を探した結果が一関温泉で、そういう事情もあり、とても温泉を堪能する気分ではなかった(伯父はその後残念ながら他界してしまったが・・・)。ただその時に泊った宿がとても素晴らしかったので、今回は温泉を堪能すべくこの宿でリフレッシュすることに決めた。





序章はこのくらいにして、本題へと入ろう。宿の手配には若干手間取ったが(サービスが良過ぎるせいなのか、平日でも予約が取りにくい宿なのだ)、新幹線指定席のほうはすんなりと取ることができた(年末年始のラッシュ明けということも手伝ったのだろう・・・)。

東京駅で、新幹線の車内で食べるための弁当とおやつを買って、新幹線ホーム21番線に向かう。

乗車する列車は東京駅8時40分発の「やまびこ53号」。E2系10両+E3系6両の16両編成だ。自由席はE2系側に1両、E3系も6両中グリーン車を除く5両と偏っている。8時30分頃に21番線に「やまびこ53号」となる列車が回送列車として入線してきた。田端の車両基地にある洗車機を通り抜けてきたばかりなのか、車体全体に均等な(?)水滴がついていた。


8時40分、定刻にやまびこ53号は東京駅を後にする。途中、上野・大宮・宇都宮・郡山・福島・仙台と停まり、仙台以北は各駅停車という、東北新幹線開業当時からの伝統的な停車パターンだ。個人的には宇都宮は通過してもいいのでは・・・と思うのだが。仙台では約10分停車し、やまびこ53号の後に発車する「はやて・こまち19号」を先に通す。

E2 [HAYATE]-01a.jpg

(過去の写真ですが・・・仙台で、“はやて”を待避するE2系“やまびこ”号。仙台以北でE2系はあとどのぐらいみられるのだろうか?)



東京出発から約2時間30分で一ノ関駅に到着する。外は予想通りの雪景色だった。


Ichinoseki Station-03a.jpg

(一ノ関駅の正面口である西口。中尊寺・平泉への玄関口である)


新幹線ホームから在来線ホームに降りると、3番線から臨時快速列車“ジパング平泉号”が発車するところだった。今回の撮り鉄ではこの列車の撮影ももちろん計画に入っている。“ジパング平泉号”の発車を見届け、改札を出て、平泉までの乗車券を買う。中尊寺へは一ノ関駅から岩手県交通のバスが直接入り口付近まで行くが、平泉から歩いていくことも可能だ。今回はバスではなく、電車で向かうことにした。中尊寺の雪吊りを楽しむと同時に今回の撮り鉄は平泉近辺と決めていたからだ。


Touhoku Line701-13.jpg

(一ノ関駅で発車待ちの701系2両編成の普通1535M・盛岡行き)



11時36分発の普通・盛岡行きで平泉へと向かう。


(中編につづく)

行ってみて良かった陸前白沢駅 [撮り鉄日記(JR首都圏以外)]

まず、2つお詫びさせてください。

1つ目は、更新が超スローペースであること。仕事などで多忙を極めているとはいえ、ブログをやっている以上、更新は出来るだけこまめにするのがベターですが、なかなか時間が取れませんでした。本当に申し訳ございません。
2つ目は、今日はリアルタイムな記事でアップしようとしたのですが、前回アップの記事をみて中途半端で終わっていたので、今日は昨年末の仙台旅行に関する記事をアップします。「この時期に冬の話題かよ~」と思われるかもしれませんが、何とぞ御容赦ください。

その路線名の通り、仙台市と山形市を結ぶ仙山線。仙台側は愛子(あやし)副都心効果もあり、仙台~愛子間は日中帯で普通列車が20分ヘッド、これに60分ヘッドの快速が加わり快速停車駅(北仙台・国見・陸前落合)では1時間に4回の乗車チャンスがある。平日の朝夕ラッシュ時は7分~15分ヘッドとなる。
これに対し、愛子以北(山形側)は、住宅地が激減するせいもあり、基本的には普通列車1本・快速列車1本のパターンである。と、ここまで書くと愛子以北もそんなに不便ではないじゃないかと思われがちだが、普通列車は午前中・夕方~夜間と偏っている。そのため、日中は快速列車の停車パターンを不規則にして、乗客の利便性を図っている。
そんなこともあり、愛子から一つ山形寄りに進んだ陸前白沢駅は「秘境の駅」とも呼ばれている。たしかに、鉄道雑誌で仙山線の写真を見ると、陸前白沢駅付近で撮影されているものが多い。そんな同駅は山間にたたずむ小駅という感じだが、実際に行ってみた感想は山間の小駅というのはだいたいあっているが、「秘境」といえるほど静まり返った駅ではなかった。

Senzan Line719-05b.jpg
(陸前白沢駅を雪煙あげて通過する719系山形行き快速列車)


陸前白沢駅はホームが上下線別に1本ずつ、跨線橋はなく、ホーム間の移動は山形寄りにある構内踏切を使っての移動となる。駅舎も待合室を兼ねた簡素なつくりだ。当然、改札口というものはない。これだけで秘境駅の条件を満たしているように見えるが、周囲を見渡すと秘境駅という表現に「?」を付けたくなる。
駅前には商店やコンビニもないのだが、実は駅前には県道が通っており、車の通行量も極端に少ないというわけではない。さらにこの県道には朝8時頃から夜7時頃まで仙台市営バスが30分~60分ヘッドで走っているのだ。しかもこのバスは仙台駅まで行っており、愛子駅も通るので、列車が2時間ほど来なくてもあまり不便には感じないのだ。これが陸前白沢駅が私的には「秘境駅」と感じられない大きな根拠だ。


Senzan Line721-04a.jpg
(陸前白沢駅を通過し愛子駅にむけて快走するE721系による仙台行き快速列車)


さて、その陸前白沢駅付近で撮影してみたのが、ロケーションは極めて良かった。1枚目の写真(上)は陸前白沢駅の山形寄りホーム端から撮ったもの、2枚目の写真(下)は陸前白沢駅から500メートルほど愛子寄りに進んだ地点で撮影したもの。自分で言うのもなんだけど、手前の畑と背後の山、そしてその境目を突っ切る列車のバランスが実に絶妙で、タイトル通り「行ってみて良かった」と感じさせるところだった。また機会があったら行ってみたい場所だ。


参考までにバスは作並温泉と仙台駅を結んでおり、陸前白沢付近から仙台駅までは仙山線にほぼ並行する形となっている。ただし、市内中心部に近づくにつれ、渋滞が激しくなる時間帯もあるので、夕方に撮影を終えて、仙台までバスで戻る時は途中の愛子駅前までいって、愛子から仙山線で戻るか、そのままバスに乗り続けて「北四番丁」までいって、ここから地下鉄で仙台駅まで戻るというのも手だろう。


仙台旅行に関する記事のアップはひとまずここで一区切りします。次の記事はリアルタイムな記事で行きたいと思います。

いま、仙台地区で最も新しくかつ主力級になりつつあるE721系電車 [撮り鉄日記(JR首都圏以外)]

さて、8月ごろから約3カ月ほど多忙の身に追われまくったが、年末になり、ようやくまとまった休みが取れたので、久々に撮り鉄に打ち込もうと思い、仙台まで行く計画を立てた。年末にした一つの理由は「はやて」の一部がE5系に置き換わったので、こちらに乗ってみようという思いもあった。昨年末だと東京10:56発の「はやて23号」がE5系に置き換わったばかりで、当然、この列車の指定席を取った。東京から約2時間弱で杜の都・仙台に到着。さて、まずは何を撮ろうか。
いま、仙台地区で最も新しい電車といえば、E721系だ。



Senzan Line721-03c.jpg
(陸前白沢付近を通過する山形行き快速運用に就くE721系)



701系の後継車両として登場した、この車両の特徴はなんといっても「ステップレス」構造にしたことだ。電化開業を急ぐあまりにホームのかさ上げをせずに、逆に車両にステップを取付け、地面との段差を少なくしていたのが、東北地方では「当たり前」の存在となっていたが、ここ数年で風向きが変わってきている。それは「バリフリー」と「コストダウン」で、E721系のスタイルの基本となっているのは、701系ではなく、常磐線のE531系だ。フロントマスクも「E531系を貫通構造にするとこんな感じ」という仕上がりだ。さらには内装もE531系をベースにしており、いわゆる「ユニバーサルデザイン」を導入することで、同時期に製造されたE531系をはじめ、E233系とも極力同一の構造にすることでコストダウンを図っている。E531系と唯一の違いは、3扉セミクロス構造となっている点であろう。しかし、この構造こそ、近郊型電車の基本であり、4扉の車体に、ボックス席ひと組というのが常識化しつつある首都圏の近郊型電車にうんざりしかけていた私には何とも懐かしく気持ちが安らぐ構造であることには間違いなく実際に乗った感触も211系以来のシートピッチのボックス席に座った時は「やはり近郊型電車はこうでなければ・・・」と感じた。



Senzan Line721-01b.jpg
(楯山駅を通過する山形行き快速の運用に就くE721系)



現在では、東北本線・仙山線用の0番台と仙台空港アクセス線用の500番台の2種類が存在する。この両者の違いは仙台空港アクセス線に乗り入れできるか否かぐらいだ。また0番台にはワンマン運転機能がまだ搭載されていないので、原則として東北本線は小牛田までの運用となっている。そういうこともあり、現在では仙山線での活躍の方が多い。まだ旅は続く。



ひさびさの投稿です [撮り鉄日記(JR首都圏以外)]

みなさま、ご無沙汰しております。
タイトル通り、ひさびさの投稿です。
なにぶんにも多忙に追われ、昨年7月末を最後に半年近く更新ができていませんでした。新着を期待していたみなさんには申し訳ございません。

ひさびさの投稿はこの写真のアップとそれに関する記事から始めたいと思います。


Senseki Line 205-3100-02.jpg


日本の災害史上、前例なき壮絶な大惨事となった東日本大震災から間もなく1年。鉄道関係ではJR仙石線が大きく被害を受け、今でも全線で復旧ができていないというのは、報道等でも知っているところでしょう。
しかし、震災から時間はどんどん経過し、仙石線もどうにか、あおば通~高城町と矢本~石巻間で運転が再開されるまでにこぎつけました。しかし、復旧した区間のうち、後者の矢本~石巻間では電車の調達ができず、小牛田運輸区のキハ110系が孤軍奮闘しているということで、震災の爪痕の深さを物語っています。

写真の205系3100番台は高城町駅を発車し、仙台・あおば通駅に向かう快速列車です。・・・と、こういう風に書くと、いかにも高城町駅からポイントを探しながら撮ったように見えますが、実はこの写真を撮った場所は東北本線の松島駅前の歩道橋から。
松島駅と高城町駅は目と鼻ほどではありませんが、そこそこ歩いていけるような距離にあります。
この写真を撮ったのは昨年の暮れ。風が強く、ときおり雨が降るような天気でしたが、205系が姿を見せたころには空が少しばかり明るくなり、震災で仲間の車両の一部が廃車されたにも関わらず、めげずに力強く走る姿を目の当たりにしたときには少しウルッと来たのを今でも覚えています。

仙石線の一日でも早い全線復旧を祈るとともに、205系には仙石線の主として末長く力強く活躍してくれることを心から祈念したいと思います。


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