いすみ鉄道撮り鉄日記(4)~撮り鉄本番編<その2> [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

急行101D列車の折り返しである、普通102D列車で撮影ポイントを見極める。本数の多さ(というほどのものではないが・・・)から考えれば、大原~大多喜間で狙うのが効率的で、いろいろな写真が撮れるところだが、この区間はFaceBookの「いすみ鉄道公式ファンページ」という名のページで色々と紹介されており、多くの撮り鉄さん達で混み合うことは容易に想像つくところだ。



そこで、今回のダイヤ改正でキハ52+28が初入線となる大多喜~上総中野間に絞り込むことにした。車窓に流れる風景をよく見ながら、撮影ポイントは小谷松(こやまつ)駅付近とすることに決めた。ここまで決まればあとは行動あるのみ。普通102D列車の折り返しである普通103D列車に乗り込み、大多喜から一駅先の小谷松駅に向かうことに。小谷松駅から歩くこと10分あまり、最初の撮影ポイントでゲットできたのはこの列車だ。


Isumi 350-03a.jpg

(いすみ350型<=手前>といすみ300型の2両編成による普通61D・上総中野行き)



ところで、前の記事の最後で「とんでもない失態を犯してしまった・・・」と記したが、それはこの列車の撮影前に起きた。時刻表上では小谷松駅に先にやってくるのは、大多喜から小谷松駅まで乗車した普通103Dの折り返しである急行104D“急行2号”だった。そのための撮影ポイントも予習しておいた。ところが、私はいすみ350型が先頭でやってくる普通61Dの方の撮影に気をとらわれてしまい、すっかり“急行2号”のことは忘れてしまっていた。気が付いたときは時すでに遅し・・・。近くの踏切は警報機が鳴りだし遮断機も降りはじめ、急行104D“急行2号”ははるか遠くより姿を見せ始めていた。急いで、撮影ポイント近くまで向かい、カメラを構えたが、露出補正が間に合わず、「撮りこぼし」となってしまった[もうやだ~(悲しい顔)]。つまり、先に来る列車がどちらなのかをわかっていながら、時計を見忘れたがために招いてしまったイージーミス。このミスは次の急行106D“急行4号”で挽回するしかない。それまでの間にやってくる列車はすべてこの付近で撮ることにした。



気を取り直し、普通61D列車を撮り終えた後は、田園地帯の中を東総元駅方向に歩きながら撮影ポイントを探していく。15分ほど歩いたところで「西間踏切」という小さな踏切を見つける。ここは上総中野方が緩い右カーブとなっており、その外側からカメラを構えれば上り列車が少し迫力気味に撮れるのでは?と推察する。直近でやってくるのは先ほど撮影した普通61Dの折り返しである普通62D。この列車をターゲットとしてカメラを構える。警報機と遮断機の間にあるわずかな隙間を利用してカメラのレンズを合せる。そして撮れた写真はこんな感じだった。


Isumi 300-06a.jpg

(東総元駅から小谷松駅に向かう普通62D・大原行き)



まあまあ、狙い通りの写真が撮れた。次にやってくるのは下り普通63D。約10分後に通過予定だ。この列車は違った角度から撮影しようと考え、上り62Dを撮ったポイントとは別のポイントで撮ることにした。西間踏切を渡り、線路沿いに並走する勝浦街道にでて約10分後、下り普通63Dはいすみ300型単行による列車だった。


Isumi 300-03a.jpg

(小谷松駅から東総元駅に向かう、下り普通63D・上総中野行き)



ところで、今回、いすみ鉄道を撮り鉄に選んだ理由はキハ52+28の“観光急行”の撮影もそのひとつなのだが、他にもうひとつ理由があった。それは下り61Dの先頭に立っていた「いすみ350型」を生で見る、撮ることだった。

いすみ鉄道は開業以来使用し続けてきた「いすみ200型」の後継車両を5両の新製気動車で置き換えることになった。

「いすみ200型」は富士重工が開発した15m級の「LE-Carシリーズ」と呼ばれるレールバスで、最盛期には岐阜県の樽見鉄道や兵庫県の三木鉄道、北条鉄道をはじめとする国鉄・JR転換三セク鉄道の多くで見ることができた。首都圏でも足尾線から転換したわたらせ渓谷鐡道や真岡線を転換した真岡鐡道で見ることができた。いすみ鉄道にはこの「LE-Carシリーズ」が7両配置され、「いすみ200型」と命名され活躍してきた。

だが、いすみ200型も誕生から20年以上が経過し、そろそろ置き換え時期となってきた。そして置き換え用として最初に投入されたのが「いすみ300型」だ。これは新潟トランシス製の18m級の軽快気動車で、標準車体を採用することでコストの軽減化が図れるという利点が特徴だ。

だが、鳥塚社長はこのやり方というか考え方に納得がいかなかったのだろう。「いすみ300型」は2両が投入され、続いて3両目も投入される予定だったが、ここで鳥塚社長は「次の車両は国鉄型気動車と調和のとれるデザインの車両を」と新潟トランシス側に注文を付けたのだ。最初は「無理、無理!」と首を縦に振らなかった新潟トランシス側であるが研究を重ねて鳥塚社長のリクエストに応えられる車両が作れる目途が立った。そして製作されたのが「いすみ350型」である。この経緯の更なる詳細についてはいすみ鉄道のホームページ内にある鳥塚社長のブログにびっしりと記されているので(7両の気動車を5両の気動車で置き換えた根拠も書かれていますよ)、そちらも読んでいただくとして、妻断面と窓形状それに塗装を除けば、「キハ52とうり二つ」といっても過言ではないこの車両の出現に私の身体は全身に電気が走るような思いをしたのだ。







さて、撮り鉄も佳境に入り、いよいよ先ほど撮りこぼしてしまったキハ52+28の“観光急行”が小谷松付近を通過する時刻も近づいてきた。その様子は次の章で・・・。



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