屏風浦撮り鉄日記 [撮り鉄日記(首都圏私鉄)]

どうも、こんにちは!(^o^)/

今回は京浜急行の撮り鉄日記をアップしたいと思います。



京浜急行はこのブログでは一昨年の暮れ、京急蒲田付近の完全高架化の際に一度アップしていますが、今回は私にとっての撮り鉄の原点となっている地でもあり、定番撮影ポイントである屏風浦駅上りホームからの写真をご紹介いたします。


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(屏風浦駅を高速で通過する1500形1700番台車による快速特急)



いまや都営浅草線に乗り入れる1500形も最初からVVVF制御で製造された1700番台のみ。寂しい限りです。それだけに昨年の土砂に乗り上げ事故で1編成が廃車になってしまったのは本当に残念です。

ところで、私が、この撮影ポイントと初めて出会ったのは、今から35年くらい前。当時小学校低学年であった私は、母の知人のところによく連れて行かれ、その帰りに母におねだりして京浜急行に乗せてもらったのがきっかけです。当時の京浜急行はまだロングレールが本格的に採用されておらず、おまけに現在のように列車接近のアナウンスやブザーなどはなかったのですが、「チュチュン、チュン、チュン」という感じでレールから接近してくる電車の音が聞こえてきたので、それで電車の接近がすぐにわかりました。初代1000形の非冷房車の普通・浦賀行きが来て、客扱いを終え出発すると直後に初代1000形の特急または2代目600形の快速特急が通過していきました。その光景はとても迫力があり、30年以上経った今でもなんとなく脳裏に焼き付いているくらいです。そしていつか自分でカメラを手にしたら、必ずここで撮ってみるぞ!と思わせてくれた地なのです。ちなみに「チュチュン、チュン、チュン」の音の正体は電車がジョイント部分(=継ぎ目部分)を通過する際、自然に発生する車輪とレールの摩擦によるものでした。ロングレールになり、ジョイントが無くなった現在では聞くことが出来ない音です。


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(屏風浦駅を高速で通過する、2代目1000形による、エアポート急行・新逗子行き)



いまや、名実ともに京浜急行の主力車両となった2代目1000形。快速特急から普通まで幅広くこなします。2代目1000形といえば、後述する2100形と同様のドレミファ・インバータの起動音ですが、あの音を作ったのは外国のメーカーで、メンテナンスに莫大な費用が掛かってしまうため、今ではほとんど(それとも全車?)が日本製のものに取り換えられてしまい、ドレミファ音で出発する光景はほぼ過去のものになりつつあります。


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(屏風浦駅を高速で通過する2代目1000形ステンレス車による、快特・三崎口行き)



2代目1000形は途中から車体がアルミ車体からステンレス車体となりました。コスト削減の観点では良いことですが、いつ見ても真っ先に思うのはこのステンレス車のカラーリングです。京急といえば、真っ赤な車体に窓周りもしくは窓下に白帯というスタイルが定番でしたが、このステンレス車は見事なまでにその定番をぶち壊してくれました(>_<#)。完全に塗装してくれとまでは言いませんが、せめて東京メトロ銀座線用1000形の技術を見習って、フルラッピングで銀色の地肌部分は隠してほしいです。たぶんこのカラーリングには大の京急通であり、“ロングおじさん”のニックネームでフリーアナウンサーとしても有名であった故・吉村光夫氏も草場の陰で泣いているのではないでしょうか・・・。


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(屏風浦駅に停車中の1500形普通・浦賀行き)



1500形は初代1000形の後継車として都営浅草線乗り入れ用車両として登場しましたが、“ロングおじさん”こと吉村光夫氏は「1500形は現代の車だが明日の車ではない」とご自身の著書で厳しく批評されています。即ち、初代1000形の後継車としては認められるが、未来の京浜急行を支えるには物足りない車両だ・・・と私は解釈しています。その解釈が正しいのかどうか、2代目1000形が登場すると、早々と都営浅草線乗り入れ運用からは外れていき、8連でA快特(品川始発の快速特急)、6連で普通を中心に時折D急行(品川または京急川崎発着の南行方面の急行)に充当されていくようになりました。そして、京急蒲田付近の高架化工事が竣工し梅屋敷駅が6連対応ホームに変わったのを契機に8連も編成がバラされ6連化が一気に加速しました。そして吉村光夫氏のご指摘に呼応するかの如く、界磁チョッパ制御はVVVFインバータ制御に換装されていきました。吉村光夫氏のご指摘は正しかったということですかね・・・。


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(屏風浦駅を通過する1500形1600番台によるエアポート急行・新逗子行き)



エアポート急行は新逗子・京急久里浜方面から羽田空港に直行する急行列車です。京急本線は一時期、日中の快速特急を12両編成化し、京急川崎発のD急行新逗子行きは、品川発としたうえで、泉岳寺方面からやってくる快速特急に併結することで、快速特急に格上げされました。しかし、逗子線の利用者数に対し4両編成というのは需給的にマッチしていなかったようで、京急蒲田駅構内に短絡線を設置することで、横浜方面からの直通運転を可能とさせることによって登場したものです。2000形の8連が専属的に充当されることで、これにより逗子線の輸送力改善が図られました。趣味的観点でみるとD急行の復活は嬉しい反面、その停車駅の多さには理解に苦しむところがあります。とりわけなぜに能見台・弘明寺・井土ヶ谷に停車し、かつて停車していた京急富岡と黄金町を通過するのかが謎です(JRの駅に隣接している杉田と仲木戸の停車はある程度理解できます)。エアポート急行の今後の課題は停車駅をもう少し絞り込むことでしょう。そしてこの日のエアポート急行にはちょっとした珍客がやってきました。


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(都営地下鉄5300形によるエアポート急行・新逗子行き)



これは定期運用なのでしょうか?それとも代走なのでしょうか?気になるところです。続いて、エアポート急行の主と普通列車の主に登場していただきましょう。


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(屏風浦駅を高速で通過する2000形による、エアポート急行・金沢文庫行き)



まずは、エアポート急行の主である2000形。言わずと知れた2代目快速特急専用車両であり、京急で初めて両開きドアを採用した形式でもあります。2100形の登場で3扉化されてしまったのは少々残念なところですが、エアポート急行の主として頑張っているので良しとしましょう。エアポート急行は2000形が中心的に運用され、それだけでは回しきれない分を2代目1000形等でフォローしています。2000形も登場から今年で30年。まだまだ現役で頑張れる体力はありそうですが、老朽化は随所で目立ち始めており、初期の車両から廃車が進んでいるとのこと。写真の2011Fも今度の検査期限切れで廃車になるのはほぼ確実です。というのは京急では廃車が予定されているされている車両については特別な塗装を施した上で、次の検査期限がきたらそのまま廃車というジンクスみたいなものがあるからです。その根拠としてかつて、初代1000形の4連×2編成をそれぞれ大師電鉄風の茶色一色と湘南電鉄風の赤と黄色のツートンカラーに復元しましたが、どちらも検査期限がきたところで、延命工事はせず、そのまま廃車という前例があるからです。この2011Fも次の検査期限切れで廃車にすることを前提で、登場時のカラーリングである赤い車体に窓周り白色というパターンに復元させたのではないでしょうか。続いては普通列車の主を・・・。


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(屏風浦駅に進入する800形 普通・浦賀行き)



800形は昭和53年に登場した、都営浅草線乗り入れを意識しない社線内用車両として登場しました。3連で普通、6連でD急行を担当できるように設計されました。そのため、801F~810Fまでは3両固定編成で登場しました(811F~827Fまでは6両固定編成で登場)。しかし、800形が登場したころ、都内にある梅屋敷駅のホームが4両分しかない上にホーム両端を踏切に挟まれていたため、ホームを延伸することが出来ない状態でした。このため、普通列車の6連化が思うようにできず、登場当時800形が普通列車に充当されたのは、朝夕ラッシュ時に限られていました。日中は京急川崎~新逗子間のD急行に専ら充当されていました。また前述のとおり、3連で登場した801F~810Fはローカル線時代の空港線の普通列車として活躍していました。

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(屏風浦駅を後に、上大岡駅に向かう、800形 普通・品川行き)



登場から36年あまり。現在では3両固定編成はなくなり、空港線はローカル線から幹線に昇格され、さらにそこへ追い打ちをかけるように新駅として開業した羽田空港国際線ターミナル駅には3扉車対応のホームドアが設置されたことにより、800形は空港線への入線が不可能となってしまいました。当然のことですが、老朽化は2000形以上に目立っており、いつ引退の時期を迎えるのか気が気でなりません・・・。最後は花形車両で締めくくりましょう。


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(屏風浦駅を高速で通過する2100形快速特急)



2100形。京急の3代目快速特急専用車両として平成10年に登場。車体は日本製だが、電機品はドイツ・シーメンス社製で、2代目1000形のところでも少し触れた、ドレミファ音を奏でるVVVFインバータの音はこのシーメンス社の技術によるものです。2000形まで継承された固定クロスシートの採用をやめ、転換クロスシートとしましたが、座席の向きは常に進行方向と同一になるように乗務員室で操作するように設計されており、乗客の任意で座席の向きを変えることもできないので、実質的には固定クロスシートです。都営浅草線・京成線乗り入れにも対応出来るように設計されましたが、都営浅草線には当時の東京都知事の意向で乗り入れが叶いませんでした。





こうして1時間半ほどですが、京急の車両を撮りました。都営5300形のエアポート急行は予想外の収穫でした。帰りは屏風浦から横浜まで800形の各駅停車に乗車し、横浜からは東横線~副都心線~東武東上線直通の特急川越市行きで帰路の途に就きました。その道中に思ったことはTwitterにてツイートしていますので、併せてご参照いただければと・・・思います。





3月も残すところ、あと1週間ほど。次の撮り鉄は桜との絡みを予定しています。昨年は開花が予想以上に早かったため、上手くいきませんでしたが、今年はどうにか上手くいきそうな予感が・・・。次の更新は4月の中旬ごろになると思いますが、それまでどうかご容赦いただければと思います。出来るだけ早く更新できるよう努力はしますが・・・。



それでは、また!
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